玖珠郡玖珠町帆足1627 (平成26年3月29日)
東経131度10分00.98秒、北緯33度18分00.78秒に鎮座。
この神社は、大分自動車道・玖珠ICの北1.5km程の辺り、帆足の西外れ、山裾に鎮座しております。
後嵯峨天皇の御宇寛元3年(1245)帆足領主、帆足十郎兵衛尉広道鶴ヶ岡八幡宮より御勧請、帆足の総鎮守として本社を創始し以来鎌倉、室町の両時代、帆足20代三百数十年間郷民と共に一貫して崇敬。江戸時代より明治維新に至るまで森歴代藩主の崇敬厚く封内の宗詞として祀れり。
明治6年(1873)4月郷社に、昭和9年(1934)10月県社に列せられるも、昭和22年(1947)宗教法人法の改正により帆足郷総社となる。
境内由緒書き より
参道入口と鳥居
神額
境内
拝殿
拝殿内部
本殿
その昔当地方に白鹿が出没して農作物を荒し農民は多くの被害をうけたいました。その白鹿が当所に眠れるを発見し、射止めんと矢を放ちましたところ白鹿は重症に狂い立ち射者に襲いかゝって来ました。身の危険を感じ一心に八幡大神を祈念せしところ俄に岩石そゝり立ち危難をのがれました。この神威の尊さに当神社は創立されたと伝えられています。
日吉神社
末社