国東市国見町竹田津3597 (平成28年9月24日)
東経131度33分57.25秒、北緯33度39分59.14秒に鎮座。
この神社は、国東半島の北端にある竹田津魚港のすぐ南に鎮座しております。
御祭神
由緒
人皇44代元正天皇の御宇、養老2年(718)紀州熊野神宮の御分霊を勧請し、竹田津村小川原、室の地に着御、神託に依りて、翌年鬼篭村上老子立石(元宮)の地に鎮座す。
神威の高き為め、周防灘を航行する船舶は大前を通過するに当り、帆を一ヶ所三尺下げて進むときは無事に航行し得るが、若し敬意を表すのを忘れて行き過ぎんとするや忽ち神怒にふれて転覆の難を蒙る。又、海上風浪の難に遭へる船舶は當社に祈請を願いすてば忽ち神助を蒙りて其の難を免れると、是の神異と参詣の不便とに依りて人皇第62代村上天皇の御宇、天徳3年(959)峯つづきの現在地に遷座し奉る。始め熊野神宮の分霊にましますを以て、熊野神社と称へ奉る。
中古祭神を六柱の大神を宣ひ定め、六所大権現と称へ奉る。後年権現号を解き、現在の武多都社と改称し奉る。武多都は武士の多く寄り来る良き港の事で(港のことを津と言う)後に竹田津と地名を変える。
武多都社は武士の崇敬厚く国東浦辺の総鎮守の守護神で、武士軍法の研究地なりと言う。明治の初め郷社に列せられる。
境内由緒書き より。
参道入口
神門
境内
拝殿
拝殿内部
幣殿
本殿
本殿前の浪花狛犬。拡大写真はこちら。 | |
(天保14年(1843)癸卯3月吉日建立) |
靖国社
末社
石祠
舞殿