横津神社

速見郡日出町藤原3049 (平成20年7月23日)

東経131度32分0.96秒、北緯33度22分39.86秒に鎮座。

 この神社は日出バイパス・日出ICの南西約850mの別府湾を見下ろす山麓に鎮座しています。入口の一の鳥居を潜ると参道は綺麗に整備された石段が続き、両脇に建立された奉納燈籠の多さにこの社に対する崇敬の深さが感じ取れます。境内入口には二の鳥居が建ち、見事な瓦葺の拝殿の甍には木下家の家紋・「独楽」が遺されています。拝殿の裏に回ると最上階の本殿まで3棟の社殿が階段状に連なるという珍しい社殿様式が見られます。境内左には境内社:豊張稲荷神社、天満宮・権現宮・愛宕宮が祀られ、豊張稲荷神社前の神池には今では貴重品種となった蒲の穂が群生、シオカラトンボが遊びに来ていました。

 御祭神:日出藩三代藩主・木下右衛門太夫俊長公
 例祭日:1月1日・元旦祭、2月初午・祈年祭(於・豊張稲荷神社)、4月7日・春季例大祭前夜祭、4月8日・春季例大祭、8月26日・夏越大祓祭 、12月31日・除夜祭
 境内社:豊張稲荷神社、天満宮・権現宮・愛宕宮
 由緒:御祭神・木下右衛門太夫俊長公は歴代藩主の中では旧日出郷に数多の溜池を造成して新田開発や水稲・七島蘭・薩摩芋の生産を奨め、植林に励み大森林を造成されました。また、儒学を人見竹洞に学んで文学を奨励し、絵画を狩野常信に師事して社宝「六歌仙」等を遺されました。更には神仏崇拝に篤く、多くの社殿寺堂の建立・鳥居寄進にも努められました。藩民からこれらの功績を称えられ横津の社の祭神となられました。
 慶応4年(1868)太政官布告神仏分離により横津御廟から横津神社となり、明治10年(1877)此の地に全社殿を建立しました。大正14年(1925年)郷社に列せられましたが、昭和21年(1946年)神社制度改革によって社格は廃止されました。
 平成12年(2000年)創建120年記念事業として社務所改築・大鳥居移転・表参道整備・裏山の運動公園化・駐車場整備に着手し、翌年10月記念事業竣工落成に伴う奉祝祭を斎行しました。

神社遠景
参道の様子 境内入口の二の鳥居
拝殿 拝殿に架かる社額
拝殿から最上階の本殿まで3棟の社殿が階段状に連なっています。
境内社:豊張稲荷神社 参道、入口と社殿
豊張稲荷神社前の神池には
今では珍しい蒲の穂が群生しています。
蒲の穂に止まるシオカラトンボ
境内社:天満宮・権現宮・愛宕宮
境内から見える別府湾の眺望