大神八幡神社
速見郡日出町大神中村(平成20年7月26日)
東経131度34分23.59秒、北緯33度22分19.26秒に鎮座。
この神社は大神小学校の北西約800mに鎮座しています。カーナビにも載っていない神社で、あちこち探し回った記憶がある、行きづらい神社でした。
道路に面した一の鳥居は、第三代藩主・木下俊長公により寄進された台輪鳥居で、この社の歴史の古さを感じさせる物でした。深い森の中、石段の参道を上がると、三の鳥居を潜った途端に明るい境内が開け、開放的で大きな拝殿内には、これまた歴史と崇敬の篤さを物語る沢山の絵馬が奉納されていました。
その鎮守の森の中にひっそりと祀られた感のある今宮社は、大神親長の霊を祀る御霊社で、余程その怨念は凄まじいものがあったのでしょうか?「恐怖社」とも言われていたようです。
御祭神:誉田別命、三女神、比義諸男命
境内社:今宮社
由緒:奈良時代の末期、延暦7年(788)大神比義諸男命が大神庄の鎮守神として宇佐八幡宮を勧請し、大神中村の「御霊の宮」に鎮祭したのが創基とされ、日出町最古の八幡神社と考えられています。
この地には、18年間鎮座して、大同元年(806)には、現在の社地「二本松」に遷座。その後も後尾・大原・真那井の鏡ケ尾・真那井の浮島・小出原と遷座を行い、寛永3年(1626)再び第二番目の社地であった現在の地「二本松」へ還御し、現在に至っています。そこで計八カ所の遷座地を「大神八ヶの地」と伝えられています。
ちなみに、第一の鎮座跡には天神「御霊の宮」、第三の高津には「貴船大明神」、第四の大原には「高良大明神」、第五、第六の社地はすぐ近くであり、跡地には「浮島八幡宮」、第七番目の小出原には「本宮八幡宮」がそれぞれ祀られています。
一方、宇佐八幡宮の八摂社ともなっており、千年紀祭などには宇佐八幡宮から奉幣使が遣わされています。
その他、慶応の大干魃などには度々この社にて「雨乞い祈願」が行われ、歌舞伎が奉納され、霊験あらたかなことが知られています。
詳しくは下記由緒書きにてどうぞ。
「大神八幡神社」由緒書きはこちらで
神社入口 第三代藩主・木下俊長公により寄進された台輪鳥居 |
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深い森の中、石段の参道が続きます。 |
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参道途中の二の鳥居と境内入口の三の鳥居 |
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参道途中、二の鳥居の後ろにいる岡崎現代型の姿をした玉乗り狛犬 |
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開放的で大きな拝殿 |
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拝殿内に架かる沢山の奉納絵馬 |
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三間社流造りの本殿 |
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境内社:今宮社
大神親長の霊を祀る御霊社です。戦国時代末期、大神親長は家臣の讒言により大友宗麟に捕らえられ、柳川に幽閉されます。無実の罪を被せられ、怨みを残しながら幽閉先で自害してしまいました。もと、大神の高津に鎮座していましたが、、その後この社の境内に遷座しました。「恐怖社」とも言われていたようです。 |
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