住吉神社

速見郡日出町大神6846 (平成26年3月31日)

東経131度35分18.24秒、北緯33度20分55.57秒に鎮座。

この神社は、JR日豊本線・大神駅の南4km程の辺り、大神深江の海を見下ろす小山の上に鎮座しております。

御祭神 底筒男命・中筒男命・表筒男命

由緒
南北朝時代の貞和3年(1347)大神郷地頭の大神筑前次郎朝直が泉州堺住吉神社より深江へ勧請し、大神氏の氏神として崇敬した。
初め、祠は深江の城中にあったが、城地が狭くなったので、「田の尻」(今の牧の内の小字「元明神」)に遷座した。おそらく、朝直の孫、三代大神親増が一ノ戸城を築いて、城の居住したので、室町時代の初め、応永年間(1394〜1427)に、祠を移したものと思う。
大友氏滅亡の頃は、社殿は荒廃していた。深江城も天正6年(1578)耳川の闘いで城主鎭次戦死。文禄元年(1592)朝鮮の役で城主鎭勝戦死し、深江城は滅亡し、空城となった。
江戸時代になると、寛永15年(1638)幕府の命により日出藩も中世の古城を全て壊した。鹿鳴越古城山の古城・横津城山の真獄城・深江の深江(一ノ戸)城・山香の蛟尾城・竜ケ鼻城・越井城の6城である。そのため深江の城は消滅した。享和3年(1686)日出藩3代木下俊長公は、神社を元の城跡に戻し、神殿を再興造営した。翌年、貞享4年(1687)2月に鳥居を寄進した。その鳥居は後に棄損して、大正12年(1923)1月修建。・・・・・
境内由緒書き より

参道入口と一の鳥居

参道より見る大神深江の海

参道

二の鳥居

境内。左手が住吉神社。右手が恵美須・金刀比羅神社。

手水舎

境内入口の狛犬。拡大写真はこちら。
(大正3年(1914)建立)

拝殿

拝殿内部

本殿


恵美須・金刀比羅神社

内部


回天神社。昭和20年(1945)に大神訓練基地が造られた事に由来するようです。

内部

回天模型

石祠 生目神社

大神の車海老養殖池