若宮八幡神社

豊後高田市是永町(平成20年7月22日)

東経131度26分49.94秒、北緯33度33分10.77秒に鎮座。

 この神社は豊後高田市役所南の29号線に入口があります。
 入口の一の鳥居から神門までは200mほどの参道が続き、途中には狛犬やら境内社やらが見られ、楽しく歩けます。神門前には万延元年(1860)に架設された県指定有形文化財の参道橋があり、神池の中には「天の邪鬼」が這い蹲っていました。神門を潜り境内にはいると、正面には横に大きく広がる拝殿が建ち、その左脇には彫刻が見事な随神門が造営されています。白壁内には趣ある檜皮葺きの左脇殿と本殿、銅葺きの右脇殿は造営されていますが、正面は二重のガラス戸があり周囲は白壁に囲まれているので、残念ながら良く拝見できませんでした。又、本殿縁に置かれたガラスケース内には木製神殿狛犬が保護されていました。

 御祭神:大鷦鷯尊、配祀:天照大御神、玉祖命、品陀別命、隼総別皇子、大葉枝皇子、小葉枝皇子、雌鳥皇子、多岐都比売命、多紀理毘賣命、市寸嶋比賣命、天之忍穗耳命、天之菩卑能命、天津日子根命、活津日子根命、熊野久須比命
 例祭日:1月1日・元旦祭、6月30日・大祓祭、7月7日・北辰社祭、10月15日近い土曜日・秋季御神幸祭、12月31日・大祓祭、毎月1日1・15日・月並祭
 境内社:粟嶋社、宮地嶽神社、稲荷神社、琴平宮、祇園社
 由緒:若宮八幡神社は宇佐八幡大神の御子、大鷦鷯尊他15柱の神々をお祀りした旧県社なり。
 淳和天皇の天長元年(824)豊前国宇佐郡大神朝臣蘊麿の母酒井門主女に「我と奉齊せよ」との託宣あり、文徳天皇の仁寿2年12月(852)宇佐宮造営使正六位上藤原朝臣勝主主典、正六位上香上宿祢永貞の両人に頼み、社殿を創営する。
 ご祭神の内、天照大神、玉祖神、品陀別命の三柱は、元正天皇の養老2年(718)市内字御玉に出し璞(あらたま)を御神体として祀ったものである。
 元亀2年(1571)と天正7年(1579)の二度、大友義鎮や大友左兵衛督の兵火に遭い総ての財宝、牛馬を略奪されたが、文禄の頃(1592〜5)竹中伊豆守重隆が高田城に在り、再び社殿を造営して復旧した。
 寛文9年(1669)松平主殿頭によって封内の宗祠と定められてより、歴代領主の尊崇厚く、現代の社殿は天保4年(1933)松平忠侯のご造営によるものである。
 昭和30年(1955)桂川河川改修のため、鬱蒼たる境内林の伐採、80m東方に移転し現在に至る。
 尚、旧暦10月半ばに執行される「川渡し神事」は、永保4年(1084)に始められ、日本三大裸祭の一つとして既に九百年余の伝統をもっている。
(由緒記より)

神社入口 社号標
入口からすぐの参道脇にいる安政6年生まれの子だくさん狛犬
にこやかな顔つきの狛犬で、阿は一匹、吽は二匹の子狛をあやしています。
狛犬の拡大写真はこちらで
(安政6年(1859)9月吉日建立)
参道途中の境内社:粟嶋社 参道の様子
参道途中の境内社:宮地嶽神社 入口と社殿
宮地嶽神社の狛犬
双方はじめタイプですが、阿吽で年代も石工さんも作風も異なります。相方が壊れた狛犬を組み合わせたのでしょうか?
狛犬の拡大写真はこちらで
参道も終わりに近づいてきました。
参道途中の境内社:稲荷神社 入口と社殿
神門前の神池に架かる、県指定有形文化財・石造橋
神池内の「天の邪鬼」像
神門
境内で羽ばたく鷹像
拝殿前 明和8年生まれの狛犬
今回の旅で年代確定できた物の中では最古参の狛犬です。吽には角があり、鼻の下から口蓋が割れています。鬣は顔の脇で横ロールし後ろにはストレートで流しています。尾は枝分かれして背に張り付いています。
狛犬の拡大写真はこちらで
(明和8年(1771)3月吉日建立)
横に大きく広がる拝殿
左脇殿と天保4年(1833)松平忠侯によって造営された本殿 右脇殿
本殿縁に置かれたガラスケース内に保護されている木製神殿狛犬
拝殿左脇の彫刻が見事な随神門 仮御殿
境内社:琴平宮
琴平宮の垣内にいる年代不明の狛犬
お疲れから横になってしまった先代さん
末社 末社
境内社:祇園社 拝殿と本殿
神楽殿とその柱を囓る狛犬