春日神社

豊後高田市草地三笠山(平成20年7月22日) 

東経131度28分14.07秒、北緯33度34分23.49秒に鎮座。

 この神社は草地小学校の東約500mに鎮座しています。
 神社の手前100m位の道路上に一の鳥居が建ち、参道を横切る広瀬川を渡った先に、神社入口の二の鳥居が建っています。しっとりと落ち着いた神門を潜ると、境内には鐘楼や神楽殿が建っていて、正面に横に広く大きな拝殿が端正な姿を見せています。拝殿正面には幣拝殿が建ち、その奥に本殿、両脇に境内社が見えます。本殿前には建立年代不明の古そうな狛犬も居ました。この社の境内は三笠山のほかに、秋季大祭でお神輿が一泊される尾園の神幸殿、豊後高田市の史跡である呉崎の潮汲み斎場と、約7,000坪を有しており、名実ともに西国東を代表する神社のひとつとなっているようです。

 御祭神:武甕槌命、 経津主神、天児屋根神、姫大神
 例祭日:1月1日・歳旦祭、2月10日・奉射祭、旧2月初辰・龍神祭、3月中旬 ・卒業祭、4月10日・摂社 八坂神社祭、4月第3金曜日・春季大祭宵祭、4月第3土曜日・例祭「春日祭」神楽奉納・勧学祭、6月17日・摂社 厳島神社祭、6月30日・水無月大祓式、7月15日・夏祭、8月1日・歳旦祭、8月13日・草地おどり 燈籠点灯、9月1日・風鎮祭、10月第3日曜日・秋季大祭しめおろし、10月第4土曜日・秋季大祭神幸祭 おくだり、10月第4日曜日・秋季大祭神幸祭 おのぼり 戦没者慰霊祭 奉納子供すもう、12月1日・新嘗祭、12月31日・師走大祓式 除夜祭
 境内社:厳島社、八坂社
 由緒:大同4年(809)、当地で幾夜にもおよぶ雷鳴と稲光の中に、地元の郷士・兵部卿という人がその様子を伺ったところ、楢の大木のこずえに白鹿にまたがった白髪の老人が忽然とあらわれ「われは三笠山に住める翁ぞ」と告げて、南東方向に飛び去りました。これこそまさしく春日大明神に違いないとして、宮殿を造営したのが春日神社の始まりです。
 以来、豊後守護職である大友氏により格別の崇敬を受けて繁栄しましたが、宗麟の虐政により4殿並立の本殿ほか、境内外がことごとく焼き払われてしまいましたが、氏子の総力で、宝殿一宇を再建したのちは、細川・小笠原・島原松平等の各藩主の庇護により社勢を取り戻して明治維新を迎えました。
 明治6年に郷社、そして同39年には神饌幣帛料供進神社、また大分県知事から鎮座地をあらためて「西国東郡草地村三笠山」という、奈良のご本社と同様の名称使用を許され、まさに大分県最古の春日社として、内外の崇敬をうけて今日に至りました。
 神宝に木造獅子がありますが、お正月の3日間だけ公開されるそうです。ご覧になりたい方は春日神社公式HPでどうぞ。

道路上に建つ一の明神鳥居
参道途中に建つ大きな灯籠二基 神社入口に建つ二の鳥居
額には「春日宮」の文字
神門前 大正8年生まれの出雲丹後狛犬
比較的保存状態は良く、吽は子狛を連れ、子狛が小さな玉を持っています。
狛犬の拡大写真はこちらで
(大正8年(1919)12月建立)
神門
神楽殿 鐘楼
横に広く大きな拝殿
幣拝殿 正面と左側面から
本殿
本殿左脇の境内社:厳島社 本殿右脇の境内社:八坂社
本殿前の建立年代不明の狛犬
やや猫背で前足が短く、寸胴な体つきをしています。鬣は肩のところで切りそろえられ、短い顎髭も蓄えており、尾は細く短く背に張り付いています。他の地域では1750年代当たりまでに建立された狛犬の形態を備えているのですが、この地域では古くても明和辺りの狛犬しか見ていないので年代の確定は出来ません。何れにしろ江戸時代に建立されたことは間違いないとは思われます。
狛犬の拡大写真はこちらで
祭祀場