村落石獅子

豊見城市田頭205-3付近 (令和2年3月2日)

東経127度39分41.25秒、北緯26度10分23.31秒に鎮座。

この石獅子は、豊見城市役所の西2.2km程の辺り、田頭の街外れの道路際に置かれております。

由緒
このシーサー(石獅子像)は、字田頭に設置された2体のうちの一つで、集落の西端に位置し、西の彼方からやってくるあらゆる災厄から集落を護るために置かれているのだという。
もう1体は、ここから北東向け200mほど離れた集落内の住宅脇に置かれ、シジ(霊力)高い場所だという字与根の数珠森(ジジムイ)に向けられている。
2体とも頭部のみの簡素な造りのシーサーで、伝承によれば200〜300年前に造られたものと伝えられ、古くから集落の護り神として大切にされてきた。
実際にこのシーサーには、沖縄戦で戦車に危うく攻撃されそうになった状況から人々を救ったという逸話が残されている。
1945年(昭和20)6月中旬、瀬長島方面からアメリカ軍が集落内へ侵攻してきた。そのとき田頭の人々の多くがシーサー像の後方に連なる丘陵地の避難壕の中で息を潜め隠れていた。そこへ一両の戦車が進路を向け進んできた。しかし戦車は途中にあったこのシーサー像に車体の底を乗り上げてしまい立ち往生、何度か踏み越えようとするがその度に阻まれ、前進できなくなった戦車はやむなく向きを変え、人々は難を逃れたという。
田頭のシーサーは、地域で大切にされてきた民俗文化財として紹介されることはもちろん、進撃する戦車から人々を護った沖縄戦の生き証人として、現在でも広く語り継がれている。
境内由緒書き より。

全景

道路脇の石獅子。拡大写真はこちら。