中間之御嶽

島尻郡八重瀬町富盛(平成20年1月27日)

東経127度43分36.35秒、北緯26度7分48.17秒に鎮座。

 この御嶽は富盛の石彫大獅子が置かれている勢理城(ジリグスク)入口に祀られています。神の降りる聖所に相応しく、木と石の祠と空き地があるだけの、神体も礼拝所も偶像もない本来の姿を残した御嶽です。勢理城に関連した御嶽なのでしょうか?

 神名:コダイシラゴノ御イベ

 御嶽とは?
 「御嶽は沖縄の神話の神が存在、あるいは来訪する場所で、また祖先神を祀る場でもある。地域の祭祀においては中心となる施設であり、地域を守護する聖域として現在も多くの信仰を集めている。 沖縄の信仰では神に仕えるのは女性とされるため、王国時代は完全に男子禁制だった。現在でもその多くが一定区域までしか男性の進入を認めていない。御嶽の多くは森の空間や泉や川などで、島そのものであることもある。御嶽によっては空間の中心にイビ石という石碑があるが、これは本来は神が降臨する標識であり、厳密な意味でのご神体ではない(ご神体として扱われているところも多い)。宮古や八重山地方では、過去に実在したノロの墓を御嶽とし、そのノロを地域の守護神として祭っていることが多く見られる。
 御嶽はもともと古代社会において集落があった場所と考える説が有力である。その証左として、御嶽の近くから遺骨が見つかる例が少なくない。これは沖縄の宗教が祖先崇拝であることに強く関係していると考えられる。また、多くの川や泉が御嶽もしくはそれと同格の扱いをされているが、これは保水力の乏しい琉球石灰岩からなる沖縄の土地性から、古代社会では水源が神聖視されたためと考えられる。
 沖縄独自の城であるグスクのほとんどには拝所が存在するが、このことから、グスクは元々は御嶽を中心にした集落であったものが発展し、城砦化したと指摘する説がある。 また、首里城、玉城城など、城そのものが御嶽とみなされていた城もある。」
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

御嶽遠景
御嶽標識 御嶽入口
石の祠