友利(ともり)御嶽

南城市知念知念(平成20年1月27日)

東経127度48分51.15秒、北緯26度9分23.39秒に鎮座。

  この御嶽は、具志堅からの道を東に行くと、左手に知念城跡の案内板があり、そこから約150mほど上った知念城跡・ミーグスク(新城)内にあります。
 知念城跡の案内板から下ると、すぐ左には知念大川(泉)が今も清水を湧き出しています。城跡までの150mは苔むした石畳の登りが続く散策路となっており、「疲れたな。」と思う頃、突然目の前の空間がパッと開け、知念城の石垣が見えてきます。
 知念城は沖縄各地で按司と呼ばれる首長たちが抗争を繰り返していたグスク時代前半期に築かれ、17世紀末に改築された後は知念番所(役所)として使われていた城跡です。クーグスク(古城)は天孫氏の時代に、ミーグスク(新城)は尚真王の時代に築かれたとの伝承があるそうですが、友利御嶽のあるミーグスクは、2つの門と石垣で囲まれた郭です。現在ミーグスクは保存修理中で裏門は閉鎖され、正門は柱木で補強されていますが、ここからグスク内に入ると、右手に瓦葺きの火の神(ヒヌカン)の社殿があり、さらにその奥に「友利御嶽」があります。友利とは、「名高く尊い」という意味があるそうで、御嶽の前方(東側)からは、神の島といわれる久高島が微かに見えました。
 友利御嶽は、王朝時代には琉球国王や聞得大君(きこえのおおきみ)の「東御廻り」の拝所の一つであったと伝えられています。
 又、御嶽の西側にはノロ(祭祀を司る女性神職者)が住んだ屋敷跡があり、その他、旧玉城村の受水・走水とともに、稲作発祥の地として知られるウファカルや、尚真王の異母兄弟にあたる知念按司の墓なども点在しています。

知念城跡入口の案内板 知念城への登り口にある知念大川
知念大川 知念大川上の拝所
知念城への散策路
小雨降る中、苔むした石畳は風情はありますが、
足下は危険この上なく、必然的に下ばかり見ながらの散策でした。
散策路脇の南方風な植物 突然前方が開けて、石垣が見えてきました。
本土の城郭の大きな石組みとは異なり、
砂岩製の小さめの石が組まれています。
ミーグスク(新城)内部から見た石垣内の様子
保存修理中で裏門は閉鎖され、正門は柱木で補強されています。

友利御嶽遠景
友利御嶽への参道 友利御嶽入口
友利御嶽
友利御嶽手前に建つ
瓦葺きの火の神(ヒヌカン)の社殿
晴れた日には、ここから神の島・久高島が良く見えるそうですが、今日はボンヤリと霞んで見えます。

ノロ(祭祀を司る女性神職者)が住んだ屋敷跡
屋敷跡内の拝所跡