斎場(せーふぁ)御嶽

南城市知念久手堅(平成20年1月27日)

東経127度49分42.6秒、北緯26度10分9.1秒に鎮座。

 この御嶽は現在の南城市(旧知念村)にある史跡です。沖縄では一番有名な御嶽なのではないでしょうか。この日も沢山の観光客が訪れていました。
 2000年11月首里城跡などとともに、琉球王国のグスク及び関連遺産群としてユネスコの世界遺産(文化遺産)にも登録され、整備されたのですが、2007年7月1日より有料化され、参拝には入場料200円を払う必要があります。
 緑の館・セーファを入り入場すると、まず御嶽名の書かれた碑と世界遺産の碑 があります。そこから舗装された遊歩道を木々の間を縫うように進むと、石段の上に斎場御嶽の入り口・御門口があり、石畳道を進んでいくと左手に最初に見えてくる拝所が大庫理です。大庫理から更に奥にまっすぐ進んでいくと道が分かれ、左手奥に進むと寄満と呼ばれる場所があります。ここから先ほどの二股に戻りさらに進むと、半三角形の洞門が有名な斎場御嶽のシンボル・三庫裏となります。ここには、チョウノハナ・シキヨダユルアマガヌビー・アマダユルアシカヌビーの3つの拝所が集中し、中でも最奥部の三庫裏内の「京のはな(チョウノハナ)」は最も格が高い拝所とされ、洞門の奥からは久高島を拝することができます。何とも神秘的な風景なのですが、世界遺産(文化遺産)に登録され、訪れる人が増えた分、聖域の雰囲気が減退したように感じたのは私だけなのでしょうか?

 沖縄で御嶽とは神が降臨し鎮座する聖域のことを指しますが、琉球開闢のなかで沖縄の始祖と言われるアマミキヨが造った七御嶽の1つがここ斎場御嶽で、その歴史から七御嶽のなかでも琉球王国最高の聖地とされています。
 斎場御嶽は15世紀〜16世紀の琉球王国・尚真王時代の御嶽であるとされ、琉球王朝時代に王府が整備した国家的な宗教組織との関連が深く、「せーふぁ」とは「最高位」の意味で、「斎場御嶽」とは「最高の御嶽」の意味で通称です。正式な神名は「君ガ嶽、主ガ嶽ノイビ」といいます。王朝時代は、国家の最高神職である聞得大君が管理し、聞得大君の就任儀式「御新下り(おあらおり)」が行われた御嶽でもあります。
 現在は観光地化され誰でも自由に入れますが、かつては琉球の御嶽は全てが男子禁制で、斎場御嶽では庶民は入口の御門口を越えて進入することは許されず、国王であっても御門口より先に入るには袂の合わせを女装に改める必要があったといいます。

 因みに、「琉球開闢七御嶽」とは
 琉球神話において開闢の神アマミキヨが作ったとされる7つの御嶽で、もっとも重視されたのが斎場御嶽です。聞得大君の就任式などはこの御嶽で行なわれ、アマミキヨ降臨の聖地である久高島を遥拝するようになっています。また国王就任に際しては、君手摩(きみてずり)が安須森御嶽に現れ、5つの御嶽を巡り、最後に首里真玉森御嶽に現れるといわれています。
 「琉球開闢七御嶽」
 安須森御嶽(あすむぃうたき):国頭村辺土
 クボウ御嶽:今帰仁村
 斎場御嶽(せーふぁうたき):南城市知念
 薮薩御嶽(やぶさつうたき):南城市玉城
 雨つづ天つぎ御嶽(あまつづてんつぎうたき):南城市玉城、玉城城内
 クボー御嶽(くぼーうたき):南城市知念(久高島)
 首里真玉森御嶽(しゅいまだむいうたき):首里城内

「斎場御嶽地図、琉球国王行幸の地・南城、琉球発祥の地・南城」の案内はこちらで

駐車場からの入口、世界遺産の碑

御門口(ウジョウグチ)

御門口は斎場御嶽の入口で、
神社で言えば拝殿にあたる所です。
男子及び一般庶民はこの先へは
入れず、ここで参拝したのだそうです。
御門口から見える沖縄の海
ここから参道となる石畳が続きます。

大庫理(うふぐーい)
大庫理とは大きな部屋の意味で、琉球の最高位神女・聞得大君即位の際、「霊威づけ」の儀式(霊威:不思議な威力)の中心的な祭場となりました。

寄満(ユインチ)
寄満とは首里城では国王のために食事を作る厨房を指すのだそうで、「豊穣の寄り満ちる所」という意味があると考えられており、第二次大戦前まで、その年の吉兆を占う石(うまぐゎーいし)が置かれていました。
寄満出口の様子 沖縄戦での着弾跡が池になり、
今ではいろいろな生き物が生息しているようです。

三庫裏(さんぐーい)全景
 斎場御嶽のシンボルで、半三角形の洞門の奥の光が射し込んでいる場所です。洞門は約1万5千年前におこった地震の断層のズレからできたと言われています。
 ここには、チョウノハナ・シキヨダユルアマガヌビー・アマダユルアシカヌビーの3つの拝所が集中し、中でも最奥部の三庫理内の「京のはな(チョウノハナ)」は最も格が高い拝所とされ、クバの木を伝って琉球の創世神であるアマミクが降臨するとされています。
 現在、三庫理からは王国開闢にまつわる最高聖地である久高島を遥拝することができますが、これは近世になって三庫理の岩壁の一角が崩れたことによるもので、かつての三庫理は三方を岩壁に囲まれた空間だったといいます。
貴婦人様御休み所 シキヨダユルアマガヌビー・アマダユルアシカヌビーの拝所
岩から垂れる二本の鍾乳石の下に壷がおかれ、鍾乳石から滴る水を受けています。この水滴は天から流れてくる霊水とされ、御水(うびぃ)と呼ばれ、聞得大君の水撫でに使われ、再生の効果 があると信じられていました。また壷の水量によってその年の豊凶を占いました。もともとは金壷がおかれていたといいます。
三庫裏入口 久高遙拝所から見る三庫裏
最高位の拝所・チョウノハナ 久高遙拝所
ここから海を望むと洋上に久高島が見えます。