玉陵(たまうどぅん)

那覇市首里金城町1-3(平成20年1月26日)

東経127度42分57.17秒、北緯26度12分53.85秒に鎮座。

 玉陵(たまうどぅん、玉御殿または霊御殿)は、琉球王国、第二尚氏王統の歴代国王が葬られている陵墓です。
 創祀は第3代尚真王(在位1477〜 1526)が父、尚円王を葬るために建築したものです。世界遺産のひとつで沖縄最大の破風墓となっています。なお「玉陵」と名付く墓所は、ほかに「伊是名玉陵」、「山川の玉陵」があります。
 玉陵は中室、東室、西室の3つの建築物に分かれ、中室では葬儀の後、遺骸が骨になるまで放置し、骨を取り出して洗骨しました。その後、王及びその妃の骨は東室に納められ、他の王族は西室に納められました。建造物の外は外庭、中庭に石壁で仕切られ、中庭には珊瑚の破片が敷き詰められています。
 第二次世界大戦時には、玉陵は、東室、西室が破壊されるなど大きな被害を被り、現在、見学できる大部分は第二次世界大戦後に復元されたものです。
 2000年に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録された他、全体が国の史跡、玉陵墓室石牆が国の重要文化財(建造物)、石彫獅子と玉陵碑が県の有形文化財(彫刻)に指定されています。
 玉陵内には被葬者としての資格を記した碑、いわゆる玉陵の碑文があり、それによると有資格者とは
 尚真
 おぎやか (尚円の妃、尚真の母)
 聞得大君・音智殿茂金 (尚真の妹)
 佐司笠按司・真鍋樽 (尚真の長女)
 尚清 (尚真の世子)
 尚韶威・今帰仁王子朝典 (尚真の三男)
 尚龍徳・越来王子朝福 (尚真の四男)
 尚享仁・金武王子 (尚真の六男)
 尚源道・豊見城王子 (尚真の七男)
の子孫とされますが、尚真の子の尚清は即位ののち、すぐにこの碑文の内容に反し、廃嫡された兄:尚維衡・浦添王子朝満を玉陵に移葬しており、各王子の子孫もここには葬られず、それぞれ各家で墓所をもっています。基本的には被葬者は歴代王と王妃のようです。1931年に、尚家20代当主尚典の夫人・祥子(野嵩按司加那志)さんの入棺の後、新たな被葬者はいません。
 歴代王の中で、2代尚宣威王、7代尚寧王の二名は、玉陵に葬られてはおらず、尚寧王は浦添市仲間にある浦添ようどれに、尚宣威王は沖縄市八重島にそれと伝わる墓があります。
 なお、伊是名玉陵には尚円王の父・尚稷とその妻、歴代の神女のほか、2005年には21代尚昌の長女である井伊文子さん、また22代尚裕氏が葬られました。山川の玉陵は王家の脇墓で、夭死して玉陵に葬られなかった者などの墓所でした。19代尚泰王の七男である尚時などもそこに葬られています。また、21代尚昌氏の墓所は沖縄ではなく、東京都台東区にあります。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

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石標「世界遺産 玉陵」 玉陵へと続く並木道
東の御番所 玉陵前の様子
玉陵外壁と入口
外庭から眺める玉陵内部の様子
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玉陵の宮獅子達
中央と左右の上部に三体の宮獅子が鎮座しています。中央の石獅子は力強く胸を張って正面を向いた堂々とした石獅子で、左右の両獅子は二本足で立ち、玉紐と戯れたユーモラスな表現になっています。特に左の獅子はお腹の前に二匹の子獅子が戯れ遊び、親獅子は上の子を愛おしそうに嘗めています。
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玉陵欄干の親柱にいる小さなシーサー達・14体
やや稚拙な出来ですが、それぞれが異なる表現で造られています。
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玉陵欄干レリーフのシーサー10態
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玉陵管理事務所展示物の一部
墓室の様子や戦前の玉陵の様子、歴代王・王妃の甕棺・厨子等が展示され、現在だけでなく、往古の琉球の歴史、建造物、埋葬方法などが紹介され興味が尽きませんでした。
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