許田の手水

名護市許田(平成20年1月26日)

東経127度58分7.36秒、北緯26度32分21.27秒に鎮座。

後の御嶽を参拝後、右手を見ると史跡と書かれた柱が立っています。行ってみると、名護市市指定文化財とあります。

むかし、許田の村にたいへん美しい娘がいました。ある日、娘が村の後にある「クシヌカー」という泉で洗濯をしているとき、首里の殿様が馬に乗ってそこを通りかかり、娘を見て「水を下さい」と声をかけました。娘がニーブ(ひしゃく)で水を汲むと「あなたの手で水を汲んで下さい」といったので、娘はやむなく手で水を汲んで上げました。そして、娘の美しさにほれた殿様は、娘を首里に連れ去り、村人をなげかせたという話が伝えられています。それからその泉を「手水」と呼ぶようになったそうです。
 許田に橋がかかる前は、大きく入りくんだ内海(入江)沿いに道があり、遠く福地原や現在の古知屋又を迂回して、ここにたどり着きました。
その道沿いにこの泉があり、旅人ののどをうるおしたのです。
 古くから、その泉のことは広く知れわたり、次のような流歌も詠まれ、平敷屋朝敏作の組謡「手水の縁」にも引用されました。
 馬よ引き返せしばし行ぎ見ぼしゃ 音に聞く名護の手水 与那原親方良炬
 面影よ残す許田の玉川に なさけ手にくだる水の鏡 玉城親方朝薫
 汲みよ始めたる誠真実の 流れても絶えぬ許田の手水 読人知らず
平成七年(一九九五)五月 許田区
名護市教育委員会

今このような事をしたら、拉致と言って皆で騒ぎそうです。でも当人は玉の輿だったりして。

流石!市の文化財。御嶽より立派です。

今でも豊かに水をたたえています。