部間権現

名護市安和(平成20年1月26日)

東経127度54分8.02秒、北緯26度36分8.35秒に鎮座。

この神社は、名護市と本部町の境近く、瀬底島の南東4km程の辺りに鎮座しております。ここ沖縄では宗教がとても身近なようで、それだけに地元の人達には説明不要だと思われます。全く由緒書等は有りませんので詳細は不明です。

部間権現の部間は地名です。地図をみると附近に部間と書かれています。住所と違いますが、嘗てこの辺りは部間と呼ばれていたのでしょう。次は権現。「権」という字は「権大納言」、「権禰宜」等と同じく「臨時の」「仮の」という意味で、仏が「仮に」神の形を取って「現れた」ことを文字で示している。明治政府はこの権現を嫌い、本土では軒並み御祭神を差し替えてしまった。しかしここ沖縄では権現の意味が異なるようです。

1713年に成立した「琉球国由来記」には、安里の安里権現(安里の寺)・同津覇の津覇の寺・那覇市小禄の中瀬社宮・糸満市真壁の真壁の宮(真壁宮)・那覇市辻のコバヅカサ、の8例の記録があり、17世紀後半には霊石を権現として祀る習俗が成立していたようです。霊石を権現として祀り始めた者は男性(地方役員や農民)で、後代においても勧請者の血筋を引く男性が権現の司祭をおこなっていたようで、御嶽の祭祀が女性のみで執り行われるのとは違うようです。地元、中城の文化財を解説しているサイトに詳しい。

部間権現は「琉球国由来記」には登場しないようで、由来記以降の成立と考えられます。

入口に立つ社号標。復帰の翌年建てられています。復帰後はれて和暦が使えるようになったと思われます。

入口正面。左手は駐車場。

入口の鳥居と参道の石灯籠。琉球セメント株式会社が奉納したようです。我々は土曜日の9時20分頃の参拝だったので静かに参拝させて戴きましたが、運が悪いと発破の轟音が鳴り響き石が飛んで来るといった物凄い所のようです。それで迷惑料?・・・或いは立ち退き料だったのか、参道整備も含め琉球セメントが費用を負担したものと思われます。

参道右手の採石場と、多分セメント工場。境内の外はけっこうほこりっぽい所です。

嘗ては全てこのような山だったのでしょう。

参道と拝所入口。

拝殿と参道は90度曲がっています。拝殿正面は採石場なので、参道を付け替えられたのかも知れません。

拝所正面。

拝殿と本殿。

拝殿左右のシーサー。

(大正十五年十壹月一日)

ここ沖縄でも神様、仏様、様々に習合しているようです。

アミダニョライの神様
大主ぬ神様
美女心母神
グジヨーハハシン
御天七神
國主ぬ神様
土地七神
御天十二ぬ神様
世主ぬ神様
土地十二方
ヂチ    

本殿裏側の洞穴。この洞穴の中に霊石(ビジュル)が祀られているのでしょうか。

参拝を終えた帰り道。正面に見えるのは部間大橋。わざわざ海の中に橋を造る必要があったのだろうか。それとも沖縄振興の為に橋を架けたのでしょうか。