白銀堂神社

糸満市糸満23(平成20年1月27日)

東経127度40分18.85秒、北緯26度7分46.68秒に鎮座。

 この神社は糸満ロータリーから331号線で那覇市方面に進むと約400m程で右側に鎮座しています。
 道路から階段を上がると大きな石鳥居が建ち、そのすぐ後ろに陶器製のシーサーが1対建立されています。その右側には元々拝所であった岩を取り込む形で社殿が造営され、シースルーシャッターの向こう側には銀貨が埋められているという伝承が残る洞窟が見えます。境内奥ではイビ岩(神岩)が、斎場御嶽の三庫裏と同様の半三角形の洞門を形成し、イビ岩下には拝所も多数点在しており、聖地に相応しい雰囲気を醸し出しています。又、境内には大きな隆起サンゴがあり、約200万年前までは海だったことを物語っている証拠なのだそうです。

 白銀堂は、「シロガネの御イベ」という航海安全と豊漁を司る海神が祀られている御願所(ウガンジュ)で、別名「よりあげ御嶽」とも呼ばれる聖地です。旧正月には、1年の航海安全と豊漁を祈願する人々で賑わい、旧暦5月4日には漁師の街・糸満を代表する祭り「ハーレーの祭祀」が、根人(ニーチュ)と呼ばれる神官により執り行われます。

 白銀堂には、社名の由来ともなっている「イジヌイジラー ティヒキ ティヌイジラー イジヒキ(意地が出たら手を引け、手が出たら意地を引け)」という有名な教訓・地名説話が伝えられています。
 「昔糸満村に働き者の漁師がいましたが、漁の途中で遭難して船と漁具を失い困り果てていました。見かねた薩摩の武士がお金を貸しましたが、不漁が続いて約束の期限に借金を返す事ができない漁師は白銀堂の洞窟に隠れていました。ところが見つかり、怒った武士に刀で切られようとしたとき、漁師は「意地ぬ出じらぁ、手引け。手ぬ出じらぁ、意地引け。」と言う沖縄の諺を言って許しを請いました。武士はその言葉で気持ちを静め、任期が終わり薩摩に帰ったのですが、玄関に自分のものではない男ものの履物がありました。武士が部屋に入ると、妻が見知らぬ男と寝ているので、怒りの気持ちを抑えきれず刀を振り上げましたが、漁師に聞いた諺を思い出し、よくよく見てみると妻の横に寝ていたのは、男物の着物を着た母親でした。母親は、女だけだと心配なので男姿をして寝ていたとのことで、武士は妻と母を殺さないですんだのです。
 翌年琉球へ戻った武士は、漁師の所に行くと、今度は豊漁に恵まれた漁師は待ち構えていたようにお礼とともに借りたお金を差し出します。しかし、武士はことの次第を話して漁師にお金はいらないと言って聞かず、漁師は漁師でどうしても返したいの一点張り。結局はそのお金を洞窟に埋め、そこにお堂を建てて海上の平安と村の繁栄を祈ることにしたのだそうです。
 それが今日 白銀堂と呼ばれる由縁だそうです。」(「沖縄情報IMA」より)

神社入口
入口脇、建立年代不明の陶器製のシーサー
シーサーの拡大写真はこちらで
境内全景
社殿
元々拝所であった岩を取り込む形で造営されています。
社殿内の様子
伝承ではこの洞窟の中に銀貨が埋められています。
境内の大磐と、
諺「意地ぬんじらー手引き、手ぬんじらー意地引き」の碑
社殿と向かい合った拝所
境内奥には如何にも聖地という感じで
巨岩がゴロゴロしています。
境内奥、イビ岩下の拝所
境内奥、イビ岩下の拝所 境内奥、イビ岩下の拝所
イビ岩(神岩)
規模こそやや小さめですが、斎場御嶽の三庫裏と同様の半三角形の洞門が形成され、
如何にも聖地に相応しい雰囲気を醸し出しています。