宇野八幡宮

玉野市宇野2-30-1(平成21年8月21日)

東経133度56分37.09秒、北緯34度29分13.57秒に鎮座。

 この神社は宇野駅の南西約1.4km、宇野小学校北に鎮座しています。入口石垣上には天保12年生まれの狛犬がおり、その後ろに鳥居が建立されています。そこから尚も石段が続き、随神門を潜った上に玉垣に囲まれ境内が造成されています。境内入口には昭和6年生まれの美形の備前焼宮獅子がいて、広い境内奥中央に入母屋造りからは唐破風付きの拝殿、銅板葺きの本殿が建立され、左右に沢山の境内社が祀られています。拝殿と境内社には兄弟と思われるそっくりな狛犬も居ました。
 旧村社だそうですが、明るく広い社地は綺麗に整備され、気持ちの良い神社です。

 御祭神:応神天皇、仲哀天皇、神功皇后
 祭礼日:4月29日・祈年祭、10月第2土・日曜・例祭、11月23日・ 新嘗祭
 境内社:祖霊社、産霊宮、稲荷神社、天照大神、大宮賣神、倉稲魂神、若宮神社、野児嶋神社
 由緒:元藤井大生浦(現在藤井稲荷神社のふもと)に鎮座し、宇野村の鎮守とて、又村民の心のよりどころとして崇められ、特に農海運業の守護神として祭られていた。
 創立年暦は不詳であるが、寛文6年(1666)備前国内の小社を寄宮となされた時、産土神として残された社にて、享保3年(1718)この地(寛文6年寄宮となった御崎宮の跡地、小丸山、現軽島)に奉遷された。その後、安永4年9月(1775)と天保3年4月(1832)に屋根の葺替が行われ、明治13年には桧造の本殿も建設されたが、昭和14年11月随神門を残し、不慮の火災にて全焼し、翌昭和15年、氏子崇敬者の寄進や奉仕により再建され、昭和17年竣工されたものが現在の社殿である。その折、境内も整備され神社運営の基礎を固めた。
 終戦後、世の中の安定するに随い、昭和42年本殿の屋根の葺替が行われ、氏子崇敬者と当社の結び付きの一翼として昭和47年社務所の増築がなされた。昭和59年「八幡宮」通称「軽島八幡宮」を氏子地域との一体化を図るため「宇野八幡宮」と改称し、宇野・藤井・新地地区の鎮守として、また、国家安泰や家内安全・厄除開運・交通安全・当病平癒・農海運業の守護神として信仰を深めている。
(「岡山県神社庁公式サイト」より)

境内「由緒」書きはこちらで

社頭
入口にいる天保12年生まれの狛犬
吽には小さな突起があり、丸々と太った体格の良い狛犬です。阿は大口を開けて笑い、吽はやや下向きで軽く微笑んでいます。堂々としていて明るく楽しそうな狛犬です。
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(天保12年(1841)12月吉日建立)
入口の明神鳥居 鳥居に架かる額
参道の様子 参道右脇の末社
随神門
境内入口
境内入口にいる昭和6年生まれの備前焼宮獅子
宮獅子を余り見たことがなかった時期には、備前焼の狛犬は全て同じように思っていましたが、今回ある程度の狛犬を拝見すると、時期や窯元によって結構個性があることが分かりました。この狛犬は最も正統的な造りで、阿はカールした鬣や尾を持ち、吽はストレートで、蹲踞の姿勢も整っています。
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(昭和6年(1931)4月吉祥日建立)
境内の様子
拝殿前、昭和9年生まれの狛犬
この社にはもう一対、昭和9年(1934)5月の狛犬が居ますがそっくりです。同一の石工さんの作と思われますが、特徴から言って何処何処の狛犬という分類には入りそうもない狛犬で、この石工さん独自の造り方かと思われます。獅子頭のような威厳のある顔つきで、身体中に瘤がありざらざらとした鑿目が残っています。面白い造り方ですね。
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(昭和9年(1934)5月8日建立 昭和16年再建)
拝殿
拝殿目貫彫刻・龍
拝殿木鼻・狛犬と平彫りの象
本殿
境内右側の境内社入口
境内社:祖霊社
伊勢神宮遥拝所
境内社を護る拝殿前、昭和9年生まれの狛犬
この社にはもう一対、拝殿前に昭和9年(1934)5月の狛犬が居ますがそっくりです。こちらも獅子頭のような威厳のある顔つきで、身体中に瘤がありざらざらとした鑿目が残っています。
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(昭和9年(1934)5月建立)
境内社3社覆い屋
境内社:産霊宮
  
境内社:稲荷神社
境内社:天照大神、大宮賣神、倉稲魂神
  
境内左側の境内社入口 境内社:若宮神社(左)、野児嶋神社(右)