玉野市山田856(平成21年8月22日)
東経133度59分09.52秒、北緯34度32分52.10秒に鎮座。
この神社は両備バス山田小学校前経由私立和楽園前山田橋バス停から北へ300mの山裾に鎮座しています。入口には灯籠、鳥居、社号標が建ち、真っ直ぐに伸びた参道がやがて石段となり、境内へと続きます。石段参道脇には元治元年生まれの狛犬がいて、のんびりと参拝者を見下ろす姿に「こんなんで本当に邪を追い返すことができるの?」と不安になってしまいます。
境内正面には横に広い拝殿が建ち、後ろの本殿では備前焼宮獅子が護衛をしています。こちらは強面で威厳の感じられる素晴らしい狛犬です。又、本殿には至る所に立体的な彫刻が施され、この社の見所の一つといえましょう。
境内社も4社祀られています。
御祭神:罔象女神(弥都波能売神)
祭礼日:2月17日・祈年祭、10月14・15日・秋季例祭、11月23日・新嘗祭
境内社:菅原神社、諏訪神社、祇園神社、稲荷神社、地神社(社日)
由緒:宝歴10年辰5月に記した山田村詞官、近藤数馬、同村名主甚吉の旧記によれば、「往昔古宮の地に御貢蔵並びに御殿を建て公家方御下向があった。隣国の貢物を収納することが長く続いたが、何時の頃からか御公納の儀が取り止めとなった。その節に御公家から水守大明神と額書された御神像一体の奉納があり、氏神と尊ぶ御遺命により、御殿をそのまま社殿とし、御蔵を長床にもちいて奉斎した。」とある。
尚社領田2段余りをこの時に寄進された。当時の社殿は草葺きであり、年を経るに従い老朽化が進み、最後には鳥居だけとなったが、元亀年中に当所城主三宅源左エ門行俊が社殿を再建したが、城主の城は天正年中に落城した。
その後、慶長年中に鳥居を盗賊に盗まれて船に積まれ、十町ばかり出船したところ、にわかに悪風がおこり、船人と共に打ち沈められ、その鳥居は今でも当村の沖にあると伝えられている。沓石は今もって古宮社地にある。
現在、鳥居の社号額に刻字されている水守宮の字は井上彦六エ門の筆跡と伝へられ、神宮寺講の節は縁起その他書付等があったが、社殿が大破損したので、貞享5辰年今の現社地に移転し、古神地は田畑となり御年貢地となった。
(「岡山県神社庁公式サイト」より)
社頭 |
社号標 | 旧社名「水守大明神」と 祭神名の書かれた木札 |
金刀比羅宮 |
参道の様子 |
石段参道脇にいる元治元年生まれの狛犬 鼻梁が高く長く、面長な人間的な顔つきをした狛犬です。浪速の尾をした狛犬ですが、もしかしたら地元の石工さんの作かもしれません。 狛犬の拡大写真はこちらで |
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(元治元年(1864)甲子12月吉日建立) |
境内入口 |
横に広い拝殿 |
流造りの本殿 瓦葺き一間社流造りの本殿ですが、随所に素晴らしい彫刻が施されています。 |
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屋根上にいる麒麟? | |
本殿の流動性があり彫りの深い素晴らしい彫刻類 本殿彫刻類拡大写真はこちらで |
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本殿を護る備前焼宮獅子 この狛犬に年代明記は無かったのですが、吽の作者・木村直左衛門貞直は「寛政(1789〜1801)の人間国宝」と言われる名人だそうです。阿の作者・木村長十郎友直はその後の天保〜嘉永年間(1830〜1853)に活躍した人ですから、もしかしたら阿吽で建立年が異なっているかもしれませんが、何れにしても江戸時代の作であることに間違いはなさそうです。どちらも威厳の感じられる面構えの、素晴らしい狛犬です。 狛犬の拡大写真はこちらで |
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(伊部村住・(阿)木村長十郎友直作、(吽)木村直左衛門貞直作) |
境内社:菅原神社 | 境内社:諏訪神社 |
境内社:祇園神社、稲荷神社 | 境内社:地神社(社日) |