正八幡宮

瀬戸内市邑久町尻海980(平成21年8月23日)

東経134度08分41.83秒、北緯34度39分24.00秒に鎮座。

 この神社はJR赤穂線・邑久駅から東へ5km、岡山ブルーラインと224号線の間の小丘上に鎮座しています。私達は南参道から参拝しましたが、その他東西に二参道があるようです。
 南参道入口からは約90m位石段の参道が続き、西参道からの合流地点が平坦地となりますが、その後、またもや石段参道になります。東参道からの合流地点に随神門が建ち、その後も社殿までは120m程あり、かなり広い社域を持つ神社です。拝殿前には天保10年生まれのやんちゃそうな浪速狛犬がいて、楽しませてくれます。その奥には三間社流造りの大きな本殿が建ち、境内には境内社が数社祀られています。

 御祭神:応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、天御中主神、彦火火出見尊
 祭礼日:5月15日・春季例祭、10月第2日曜日・秋季例大祭、12月15日・新嘗祭
 境内社:稲荷社、若宮社、荒神社、七柱社、高良神社、蟲神社
 由緒:旧村社で、通称名を大土井正八幡宮と呼び親しまれている。
 元正天皇の養老元年(717)豊前国宇佐から勧請したと伝えられている。
 應永年中(1394〜1427)清原備前守沙彌が本社を建立、社領は九十町であった。
 元亀年中(1570〜1572)浦上遠州が大願主となり、市村真輔入道、河本左衞門進が神殿を再建し、社領50石の寄進があったがこれは後、金吾中納言(小早川秀秋)により没収される。
 慶安元年(1648)佐井田神主社僧圓林坊連判の書き上げによれば当社は、宮数11の内、本殿3間四面、拝殿3間に5間、高麗御前、御供所門客人五社大明神、薬師堂、伊勢御前、天神、鐘楼、弁財天とあり、当時の神仏混淆の様子がうかがえる。
 その後池田三左衞門(輝政)から明治5年まで累代に亘り、毎年1石と注連竹が寄進された。寛文12年(1672)本社並びに釣殿・拝殿・廻廊その他の再興にあたり、藩主池田継政から米10石の寄進を受けた。
 明治42年神饌幣帛料供進神社に指定され、翌年村社伊勢荒魂神社ほか6社を合祀した。
 本社は、古来からの例として、氏子中、粟利郷の男女15歳未満の者が大祭に限り、一様に木太刀、薙刀を持ち太刀踊りを踊る。(岡山県及び牛窓町指定無形民俗文化財)
(「岡山県神社庁公式サイト」より)

南参道入口 明神鳥居 鳥居に架かる額
参道入口から約90m位、石段の参道が続きます。 西参道からの合流地点が平坦地となりますが、
その後、またもや石段参道になります。
随神門
境内入口
拝殿前、天保10年生まれの浪速狛犬
阿吽共にやや上向きで、吽には小さな角が付いています。若々しくやんちゃな感じの可愛い狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(天保10年(1839)8月吉日建立)
拝殿
本殿
境内社:稲荷社 境内社:若宮社
境内社:荒神社 境内社:七柱社
境内社:高良神社 境内社:蟲神社
西参道入口