瀬戸内市邑久町上笠加2 (平成25年11月2日)
東経134度05分40.91秒、北緯34度40分55.06秒に鎮座。
この神社は、JR赤穂線・邑久駅の北2km程の辺り、上笠加の西外れ、小山の頂近くに鎮座しております。
御祭神 神功皇后・応神天皇・仲哀天皇
由緒
社伝によると延文5年(1360年)4月、播磨龍野城主、脇坂久左衛門尉源忠典が神託によって豊前国から八幡宮を勧請して社殿を創建した。
当社は仲哀天皇の皇子応神天皇を首座に祀ってあるので皇子八幡宮と言っていたが、文録元年(1592年)4月、豊臣秀吉朝鮮征討の時に、其の武将、森忠政がこの宮山に来て「本社は三韓を降伏せし大神なれば」とて暫く滞在し、戦勝祈願をして峨城山と変えた。その時、藤井神主に、永代、森忠政「王を保ち守護すべき様」下命して、以来皇子を王持とし、忠政凱旋してから報賽として天正15年(1587年)8月8日、唐面と上り龍下り龍絵馬二面を奉納した。
池田藩政時代は社領三石四舛、明治43年5月20日箕輪甲山の八幡宮(嘉吉2年(1442年)3月、上笠加氏神の第一神子の薫女、神託により、国主宇喜多直家に出願して王持八幡宮の分霊を祠っていた)同年同月日、北池字宮の前の八幡宮(永享3(1746年)年6月宮内少輔原田信蕃、山城国男山より勧請)をそれぞれ合祀した。
岡山県神社庁公式サイト より
参道入口と一の鳥居
神額 | 社日 |
参道
二の鳥居
神額
神門
随身様 | |
境内入口
参道両側に控える備前焼狛犬。拡大写真はこちら。 | |
(年代不明) |
拝殿
本殿
西側参道入口。神門に行きます。
神額
参道
西側参道を護る、備前焼狛犬。拡大写真はこちら。 | |
(年代不明) |
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