亀石(かめいわ)神社

岡山市東区水門町(平成21年8月23日)

東経134度3分46.9秒、北緯34度36分17.6秒に鎮座。

 この神社は児島湾の出口と吉井川河口の東側、水門湾に流れ出る千町川河口部に鎮座しています。海辺にあり変わった名称の神社なので面白い由来があるのかな?と思い参拝させていただきました。
 社地は極小さい神社でしたが、透明度が高く波静かな水門湾に面し、長床形式の拝殿と、御神体・亀石、海中に建立された石祠の社殿が、風光明媚な周囲の景色と相まって、大亀の化身が岩となったと伝えられる伝承が素直に頷く事ができるような、…そんな神社でした。

 御祭神:珍彦命(うずひこのみこと)、海童神(わだつみのかみ)
 祭礼日:旧暦6月15日
 由緒:神武東征の途中、吉備の高島ノ宮を発し、速吸門(はやすいのと)に来た時、大きな亀にのった釣り人(字豆毘古命)が現れ神武天皇の案内をし、そのときの亀が岩となったと伝えられる亀石を御神体とする。
 亀石は海辺に首を持ち上げて海に向かって鎮座し、長さは2m弱で、玉垣に囲まれている。この玉垣の中にある小石でイボをこするとイボが落ちると言われ、お礼に石を倍にして返すと言う民間信仰が残っている。
 江戸時代中期には、岡山藩が岡山城下の後楽園へ船で移そうとした(一説には、移した)ところ、旭川河口で動かなくなり、夜中に光りだしたため、元に戻したと言う話も伝えられている。
 亀石神社自体の創建は、幸島新田干拓後であるが、それ以前から対岸の神崎から宮司が訪れて亀石の前で神事を行っていた記録が残っている。

 亀石まつりは、旧暦6月15日の夜に開催されている岡山県岡山市東区水門町の亀石神社の満潮祭である。 五穀豊穣を祈る夏祭りで、シャギリ船の巡航、花火の打ち上げ、児童・学童による額行灯の奉納などが行われる。
 横笛・平吊太鼓・締太鼓・小鼓・釣り鉦・摺り鉦でシャギリを演奏しながら掛け声と供に、提灯が帆柱から山形に飾られたシャギリ船で水門湾内を巡る。幸島新田の干拓で残った水門湾は干潟の広がる浅瀬のため、この大潮の日以外に行うことは難しい。シャギリ船は20時ごろに出航し、湾内を巡った後、20時半ごろに神社の長床(拝殿)の前に争うように船首を並べ、神事を執り行う。その後、湾内を再び巡り、現在では22時ごろに終了するが、かつては日が変わるまで行われていた。
 いつからどのような形で始まったかは定かではないが、古くは1759年の記録が残っており、片岡 晋(かたおか すすむ)(文政元年 - 明治9年2月)によって、江戸時代に現在の形に完成されたといわれる。最盛期には水門、川東、幸崎、下口地区から4艘(一説には水門から2艘で計5艘)のシャギリ船が出ており、それぞれ異なる曲を数曲演奏していたが、戦時中、戦後にしばらく途絶えていた。1948年に水門地区の青年団を中心に復活。しかし消防団を中心に活動した後1971年から再び途絶える。1976年に水門亀岩シャギリ保存会により亀石の沖に櫓を組んでシャギリの演奏が大人だけで復活し、翌年から子供も参加、その翌年からはシャギリ船も復活した。その後、東幸西下口シャギリ保存会により下口地区でも復活し、現在では水門、下口の2艘で行われている。川東地区の参加者は水門地区での復活後その船に乗り込み、後に1曲(さがりは)がしばらく演奏されていたが、現在は行われていない。幸崎地区のシャギリは現在まで復活しておらず、このままでは消滅してしまうであろう。近年、本来男児だけの参加であったものを女児にまで広げているが、少子化・過疎化による参加者の減少、シャギリ船に適した形の船の確保が困難になってきていることから、年々開催が難しくなっている。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

社頭
入口に建つ明神鳥居
境内の様子
長床(拝殿)と長床に架かる社額
御神体・亀石
亀石は神武天皇の水先案内をした二柱の神・珍彦命と海童神が乗っていた大亀の化身が岩となったと伝えられる御神体です。浜辺に造られた玉垣内で、水門湾の海に向かって首を持ち上げた姿で鎮座しています。
海中に建立されている石祠 同じく海中に奉納された石灯籠