八幡神社

新見市哲西町上神代4006 (平成26年7月22日)

東経133度20分04.50秒、北緯34度57分33.32秒に鎮座。

この神社は、JR芸備線・市岡駅の東1.5km程の辺り、中国自動車道の北側山沿いに鎮座しております。

御祭神 誉田別命・神功皇后・多紀理毘賣命

由緒
人皇第66代一条天皇の御宇長保年間(999〜1003)、中国地方に兇徒蜂起し擾乱を極む。就中金倉源吾なる者を首長とする一党は、其の猛威四隣を圧し、朝威を恐れず、依って中国の産名越常陸守に討伐を命ぜられ、直ちに常陸守手勢を引具して討手に向う。
これに先立ちて山城国男山八幡宮に詣で、某苟くも弓馬の家に生れ、今度朝命を受けしも苦戦は免れず、伏して願わくは神威を藉り彼に勝つ事を一時に決せしめ給え、神力冥助により彼の兇賊を討ち従える事は叶わば、必ず御神霊分ち奉りて我国に居斎し、子孫に伝え崇敬し奉らんと、即ち上箭(矢)を祓いて、御室に奉献し、直ちに中国に下り戦い数度に及び神力味方を守護し給い、遂に賊徒を平定、首長以下数十名を擒にして、京に上れば、其の功最も大なるものと賞辞浅からず、是皆八幡大菩薩の御神徳によるものと急ぎ奉じて、我国の宗廟として、長保4年(1002)9月、油野八幡原の地に勧請し奉る。
その後、人皇第95代後醍醐天皇の御宇正中元年(1324)甲子年、開拓の始祖神を祀るここ宮の尾を神域とし遷座して、爾後日尾山上神代八幡神社と尊称し奉る。
境内由緒書き より。

境内入口と鳥居。一の鳥居はここより400m程東、182号線に面して立っているようです。

正面

石垣前の狛犬。拡大写真はこちら。
(大正15年(1926)丙寅5月建立)
神門前の狛犬。拡大写真はこちら。
(安政4年(1857)丁巳9月吉日建立)

神門

拝殿

拝殿内部

本殿


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