守吉神社

真庭市樫東1361 (平成26年7月21日)

東経133度47分20.19秒、北緯35度05分34.19秒に鎮座。

この神社は、真庭市役所の北東5km程の辺り、山あいの盆地に水田が広がる、如何にも日本の農村といった佇まいの中に鎮座しております。

御祭神 日本武尊

由緒
創立勧請不詳ながら、旧大庭郡美和郷の一宮として国主、領主の尊崇深く、就中天正年間(1573〜1591)本村高山城主、岩佐勘解由の家臣岡本兵衛之輔が甲胄を、又吉野郡竹山城主新免伊賀守次男新見壽丸この地に土着し当社を崇敬、鎗(銘天道陣正)の献納を受けるなど、古来より由緒ある神社であったことが伺える。
ご本殿は、左宮を守宗大明神、右宮を王子権現と称し、元禄7年(1694)再建された時、両殿合併一社に建て替えられ本殿内を左右に区分二座を奉齋し、明治2年(1869)守吉神社と改称された。
現在の社殿は、天保13年(1842)再興された時の建物ではないかと思われる。
当社には古来氏子内に8戸の当屋株(世襲)があり年々交番で神酒3升、和稲3升を神饌として供える慣わしがあった。(現在は行われていない)又、氏子内の加藤氏は例祭に神馬を出し甲胄を着し弓矢を把持し御輿の先駆をなした。(現在では作り物の馬を持ち境内3周の時のみ御輿の先駆を奉仕している。
岡山県神社庁公式サイト より。

神社遠景

鳥居

参道

石段左右の出雲型狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)

拝殿

拝殿内部

本殿


末社

末社を護る一体だけの狛犬

祖霊社