金毘羅宮

倉敷市粒江1214(平成21年8月21日)

東経133度48分7.91秒、北緯34度33分7.88秒に鎮座。

 この神社は倉敷駅の南東約6km、西明院の中にある神社です。西明院の広い境内奥に、源平藤戸合戦の時佐々木盛綱が先陣の馬を乗り上げ自らの戦功を記念し造営したと伝わる先陣庵と並んで、鳥居が建立されています。その鳥居脇には浪速狛犬がおり、石段を上がっていくと平坦な参道左右に明治19年奉納の狛犬もいます。更に参道を上がっていくと森の手前に、仏像と末社が祀られ、参道が緩く右カーブを描いた向こうに境内があります。境内手前には大きな宮獅子がおり、入母屋造りの拝殿前には、焼香鉢に狛犬が取り付けられています。大きな本殿の額には「種松山金毘羅宮」と書かれ、西明院から金毘羅宮まで長い渡り廊下で繋がっています。このお寺と神社の姿が、江戸時代までの日本の神社仏閣の有り様であっただろうと容易に想像できる、そんな佇まいの神社でした。

 この社は嘗て倉敷市を2分する福田山系の最高峰・種松山(標高258m)山頂に鎮座していましたが、第2次大戦末期この地に遷座されました。往時は参拝者で賑わった種松山山頂には現在も小さな祠がひっそりと建っているようです。

社頭(西妙院境内より)
参道入口の明神鳥居
参道入口にいる建立年代不明の浪速狛犬
大きな自然石の上に置かれているのは珍しいと思います。
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参道の様子
参道途中にいる明治19年生まれの狛犬
お手本は出雲丹後と思われますが、現地化が進み完全にご当地バージョンに変わっています。のほほんとしてたおやかな感じが良いですね。
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(明治19年(1886)建立)
参道の様子
参道脇に祀られる仏像 参道脇に祀られる末社
参道と境内入口付近の様子
境内入口にいる明治22年生まれの備前焼宮獅子
非常に大きな狛犬ですが、吽の尾中央部分が欠けているのが残念です。
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(職工伊部・木村松三郎一敏 森栄太郎良明 明治22年(1889)3月吉祥日建立)
拝殿
焼香鉢にも狛犬が取り付いていますが摩耗が激しく良く分かりません。
本殿 本殿に架かる額
「種松山金毘羅宮」