八田(はった)神社

倉敷市真備町箭田3887(平成21年8月24日)

東経133度41分14.96秒、北緯34度37分30.35秒に鎮座。

 この神社は、吉備真備公を記念した中国風庭園や菩提寺である吉備寺、まきび記念館などがある「まきび公園」の南の一角に鎮座しています。参道の入口は吉備公廟南側にあり、そこから境内までは約150m程あります。その間に三基の鳥居が建ち、参道入口には珍しい子付き玉乗り狛犬が建立されています。又、境内入口にも狛犬が居て、唐破風付きの拝殿や本殿が、静かで綺麗な境内に建立されています。
 参拝の折、始めは間違えてこの社よりも綺麗に整備された吉備公廟に立ち寄りました。亡くなった地や墓所がどこなのかは不明だそうですが、立派なお堂の裏に吉備公墳墓、右手に吉備公墓碑がありました。中学時代に社会科で習った程度にしか知識がない偉人ですが、吉備真備公は二回も唐に渡り、二度目には鑑真を伴って帰国した奈良時代の学者、政治家です。ですが、ここに来るまでは倉敷市出身とは知りませんでした。恥ずかしい限りですが、又一つ知識が増えたのが嬉しいですね。

 御祭神:大己貴神、天穗日神、仲哀天皇、応神天皇、神功皇后、豐磐間戸神、櫛磐間戸神、相殿:少彦名命、猿田彦命
 祭礼日:1月1日・元旦祭、1月1・2日・各種祈願祭、4月24日・春祭、7月24日・夏祭、10月第四土・日曜日・秋季大祭、12月10日・休祭、12月31日・大祓祭
 由緒:旧村社で、もと天神様と言われ、江戸時代に現存した白石神社、八幡神社、御崎神社を大正元年9月に1村1社として合祀し、八田神社と改称した。
 ご祭神は白石神社の大己貴神、天穂日神、八幡神社の仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、相殿に少彦名命、猿田彦命、豊磐間戸神、櫛磐間戸神を祀っている。
 当社の命名の由来は真備町史によると鎮座地の箭田村は当時備中下道郡の八田村から矢田村に変わり、更に箭田村となったことが記されている。
 現在社名を「はった」と呼称されている経緯については八神様を祀っている事と、八社を合祀したからとの説がある。 
 神域は「まきび公園」の中に組み込まれ「箭田郷土自然保護地域」として赤松の保存林の中にあるが、松喰虫の被害が深刻になりつつある。
 昭和5年建立の本殿玉垣に刻まれている「誌」によると、村長土師隆治、助役別府要平の両氏が合祀その他に尽力し氏子に寄付を募り、社地を整理し拝殿の改築、幣殿、祭殿、社務所の増築、玉垣の新設を行った。
(「岡山県神社庁公式サイト」より)

社頭
参道入口にいる子付き玉乗り狛犬
広島型の玉乗りですが、台座から片足を落としながらも、必死に玉に縋り付いている子狛の姿が、何とも言えず可愛いですね。
狛犬の拡大写真はこちらで
(明治42年(1909)9月吉日建立)
参道に建つ一の明神鳥居
参道の様子
参道に建つ二の明神鳥居 忠魂碑
参道の様子
境内入口に建つ三の明神鳥居
境内入口にいる弘化5年生まれの狛犬
大きな垂れ耳で素朴な顔つきの狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(弘化5年(1848)戊申正月吉辰日建立)
境内の様子
拝殿
拝殿屋根上の瓦材飛び狛さん
本殿
境内社