六造正一位稲荷

笠岡市笠岡5531 (平成25年11月3日)

この神社は、同住所の天満宮のすぐ南側に鎮座しております。

六造正一位稲荷
天神宮とおなじ場所、同じく東面し並んで在る。天保四年(1833)の丸山家の「代官所御用留置書」に、古城山稲荷を分祀して西の浜新田の堤に建立したとある。
明治十七年(1884)に高潮で流出したために天満宮の敷地内の現在の場所に再建された。現在の社殿は昭和初期のもの。
社殿前に一対の常夜灯があり、それには天保二卯三月吉日(1831)、吉濱氏子と彫られている。この常夜灯は流出しないで残ったものを移転したと言う。
この稲荷は、西の浜新田の守りとして祀られたもので、当時には「六道稲荷」と呼んでいたのが、何時の間にか「六造」となった。また、流失は江戸の末期、嘉永三年(1850)との説がある。
現在、本殿のお稲荷さんには幕がかけられ、拝殿内には町内の「神輿」が2基納め置かれている。拝殿軒先の天井は格天井になっていて、24枚の板にそれぞれ漢字が12枚、和歌が12枚書かれているが消えかかって読めないのが多い。書いた人、由来は不明。また、この社に「大般若経」の経典があったが今は威徳寺に保管されている。

神社入口

社殿

拝殿内の神輿