岩牟良(いわむら)神社

加賀郡吉備中央町竹荘1074(平成21年8月20日)

東経133度41分22.20秒、北緯34度51分39.33秒に鎮座。

 この神社は竹荘中学から北西へ約500m程に鎮座しています。一直線に伸びた道路の遠くから大きな鎮守の森が見え、近づくにつれ社号標や鳥居も見えてきます。社号標は二基あり「多気郷 総社宮」と「岩牟良神社」と書かれています。始めは意味が分かりませんでしたが、県神社庁への届け出は「岩牟良神社」で、俗称を多気郷の氏神、首神として竹荘総社宮というそうです。
 入口の鳥居を潜ると左に境内社が一社、正面に随神門が建っています。随神門内には狼に似た狛犬が居て驚かされました。境内へは石段で上がりますが、入口脇には可愛い構えの狛犬が居ます。明るく広々とした境内正面には、唐破風付きの大きな拝殿と入母屋造りの大きな本殿が建ち、本殿左右には境内社が数社祀られ、境内右側には大八幡神社、天神社、八幡神社、矢倉神社、東豊野神社、岩牟良神社と書かれた名札が付けられている、大きな長床も造られています。

 御祭神:伊弉冉命、事解男命、速玉男命、譽田別命、仲哀天皇、神功皇后、素盞嗚命
 祭礼日:4月13日・祈年祭、10月第4日曜日・例祭、12月22日・新嘗祭
 境内社:魔法社、地神、高龗神社、祖霊社、和霊神社、天照皇大神宮遥拝所
 由緒:第44代元正天皇霊亀元年熊野三所権現を勧請した。
 多気郷の氏神、首神として竹荘総社権現と称し、国主歴代の祈願所として、松山城主から社殿の造営、神田、大刀、石灯篭を奉献された。
 文久年間火災により社殿のほとんどを失い、城主の祈願文、社領の下知文等、竹荘郷の文化財ともいうべき古文書が悉く焼失した。
 後冷泉院永承3年(1048)11月15日、主基の方備中国木工頭兼文章博士讃岐権介藤原朝臣家経が「君が代はまさごのなれる石村を、山のたかねにあふぐべきかな」と詠んだ。
 また、後醍醐天皇文保2年(1318)、主基方巳日楽破隆教が「道ありと木のもと草のかきはまで、我が代をいは村の森」と詠んだ。
 2首共この社地を歌ったもので齊邑の義である。
 明治初年神仏分離により、権現の称を廃止され、齊邑によって岩牟良神社と改称した。俗称竹荘総社宮という。
 竹荘15社の集う神集祭が平安時代から昭和22年まで10月18日に盛大に行なわれた。
 明治44年11月村社2社、無格社36社を合祀、昭和27年宗教法人となる。
(「岡山県神社庁公式サイト」より)

「総社宮 岩牟良神社の由緒」はこちらで

遠景
社頭
入口左脇の境内社 入口の社号標 道路に立つ社号標
「多気郷 総社宮」
入口の明神鳥居
随神門
随神門内にいる木製神門狛犬
大きな目が落ち窪み、痩せ形で、狛犬というよりも狼に近い感じがします。
石段参道と境内入口
境内入口にいる明治29年生まれの構え獅子
頭部が大きい所為でしょうか、成犬というよりも子犬に近い感じの若々しい狛犬です。真っ直ぐに生えそろった平歯が目立ちます。
狛犬の拡大写真はこちらで
(明治29年(1896)11月吉祥日建立)
拝殿
拝殿目貫彫刻・龍
本殿
境内社:魔法社
魔法社を護る備前狛犬
備前の構え獅子は始めてみました。明治期には宮獅子だけでなく色々な姿の狛犬を造っていたのですね。鬣が龍のように尖っていて精悍な顔つきで背中の丸みがアクロバットを見ているようです。
狛犬の拡大写真はこちらで
(明治36年(1903)6月吉日建立)
地神 境内社:高龗神社
境内社:祖霊社 境内社:和霊神社
境内社:天照皇大神宮遥拝所
長床
左から、大八幡神社、天神社、八幡神社、矢倉神社、東豊野神社、岩牟良神社と書かれた名札が付けられています。又一番右端には吹筒花火の様な外側に縄を巻いた筒が置かれていました。