東豊野神社

加賀郡吉備中央町豊野1408(平成21年8月20日)

東経133度42分05.88秒、北緯34度51分59.24秒に鎮座。

 この神社は豊野小学校の北東約500mに鎮座し、369号線沿いに入口があります。道路からは奥行きのある社地が見え、参拝に辺り、多いに期待を持たせてくれます。入口の石段を上がるとすぐに狛犬が居ます。この地域では狛犬を入口に設置するところが多いのでさして気にはなりませんでしたが、この後、随神門内やら境内、本殿などで計6対の狛犬と1対のお狐様を見せていただき感激に次ぐ感激、「東豊野神社、だ〜い好き」人間と化してしまいました。
 入口の鳥居を潜ると平坦な参道が続き、随神門へさしかかりますが、この門内にも堂々とした狛犬が居ます。が、惜しいことに阿が首から上が欠けてしまいました。数段の石段を上がった上にある境内は広々としています。整然と整えられたその中央に唐破風付きの拝殿、大きく流麗な本殿があり、それぞれ毛色の変わった狛犬がお護りしています。
 本殿右には金刀比羅社、左には善覚社、その他沢山の碑が祀られていました。
 広大な社域と豊かな森、整えられた境内、綺麗な社殿が建ち並ぶ素晴らしい神社でした。

 御祭神:高オカミ 神、吉備武彦命、須佐之男命、伊邪那岐命、級長津彦命、仲哀天皇、神功皇后、豐玉彦命、吉備津彦命、猿田彦命
 祭礼日:8月17日・献灯祭、9月第1日曜日・御神幸、10月第4日曜日・秋合同祭
 境内社:金刀比羅社、善覚社、稲荷社、堅牢地神、隠岐國焚火神、子多貨羅大明神
 由緒:天慶年中、備中国吉備津神社の御分霊を勧請した。吉備津彦命(五十狄芹彦命)は四道将軍の1人であり主祭神として祀っている。
 村社御前神社、中山神社の起源となり、村社天満神社、高靈神社、いずれも覚弘年中に勧請奉祀された。大正3年7月4日4社外無格社24社を現在の地に合祀移転、社号を東豊野神社と改称した。この合祀の大事業は多気郷の庄屋であった小出氏の熱意で達成され、その業績により当時の知事から表彰を受けた。
 大正6年神饌幣帛料供進神社に指定される。社殿は賀陽町重要文化財指定となる。歴代神職は田村家である。
 天正6年(1588)毛利輝元、吉川元春、小早川隆景が高田忍山城を攻め、天正7年(1559)落城した。この時小早川隆景、重藤の弓及び矢、又白猪空穂のえびらを当神社に奉納した。
 慶長6年(1601)足守藩主木下淡路守の所領にて代々足守藩の祈祷所の記録がある。社紋は16の菊と57の桐。大正10年(1921)4月出雲大社千家尊有氏が参向された。
(「岡山県神社庁公式サイト」より)

社頭
入口の明神鳥居 社号標
入口にいる大正9年生まれの狛犬
石の角を使って鼻先を造るというのは瀬戸内でよく見かけますが、この子達は浪速の血を色濃く出した、首のない寸胴体型の子達で、背中に張り付いた尾の造りが面白いですね。
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(大正9年(1920)9月吉祥日建立)
参道の様子
随神門
随神門内の狛犬
筋肉質で顔も体型もどっしりと落ち着いた良い狛犬ですが、阿は残念ながら顔がありません。見たかったですね〜。吽には小さな突起があるように見えます。
境内入口
境内入口左右にいる建立年代不明の構え獅子
比較的横広の平面顔で、チョンと突き出た丸い鼻がご愛敬。出雲の構え獅子より後ろ脚・尾が短く、安定した感じがしますが、その分今にも飛びかからんとする緊張感が薄れています。
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境内の様子
拝殿前にいる昭和14年生まれの玉乗り狛犬
中央を立て左右を脇に流した尾が面白い狛犬です。
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(昭和14年(1939)6月建立)
拝殿
本殿
本殿前にいる建立年代不明の宮獅子
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境内社:金刀比羅社
金刀比羅社社殿の目貫彫刻・狛犬
金刀比羅社社殿の木鼻・狛犬と象
境内社:善覚社
善覚社縁にいる陶器製のお狐様
境内社:稲荷社 「堅牢地神」碑
「隠岐國焚火神」碑 子多貨羅大明神
長床
裏参道入口にいる建立年代不明の構え獅子
潰れた平顔で、愛嬌のある子達です。楓の葉に蝸牛が歩いているような尾が面白いですね。
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拝殿前から入口を振り返る