宇佐八幡宮
備前市西片上1(平成21年8月23日)
東経134度11分19.12秒、北緯34度44分30.48秒に鎮座。
この神社はJR赤穂線・西片上駅の東約200mに鎮座しています。市街地にありながら背景の山懐に抱かれた、大きな鎮守の杜の中に社域があり、参道や境内は入口からは想像もできないほど木々が茂った中にありました。
入口の玉垣すぐ後ろには市指定文化財の備前焼宮獅子が、木枠に保護されてデーンと構えており、入口の明神鳥居を潜ると石段の参道が随神門を経由して境内まで続いています。境内はそれほど広くはなく、上がってすぐに拝殿、本殿とが建立され、その他御神輿が二基納められた神輿倉が建っています。
御祭神:仲哀天皇、応神天皇、神功皇后
祭礼日:5月第2日曜と前日・春祭、10月9、10日・秋祭
由緒:旧村社で、延元元年(1336)の創建である。足利尊氏が九州多々良浜合戦の時大勝し九州制覇できたのは、豊前の宇佐八幡宮に参詣し、武運長久を祈願したおかげだと、宇佐八幡宮を勧請し足利の守護神にしようとした。京都への東上の途中大時化に遭い潟神村(現備前市片上)の富田松山に祀ることとし、その後応永元年(1394)に和鹿林の山頂に遷座し、更に正保3年(1646)現在地に遷座された。
足利尊氏が神田50余町歩を寄進した。寛永11年から明治維新まで毎年8石9斗9合の寄進を受け10万石の格式が与えられていた。
鳥居横の「宇佐八幡宮備前焼狛犬」は備前市指定文化財で胴回り約2、5メートル高さ1、4メートルの大きさで文政9年の刻銘がある。備前焼としては県下有数の大きさである。
(「岡山県神社庁公式サイト」より)
社頭 |
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入口にいる文政9年生まれの市指定文化財の備前焼宮獅子
この作者の宮獅子は始めてみましたが、窯元によって作風がかなり違うことが良く分かりました。この狛犬は潰れ顔で首が無く頭部から直に胴体へと続いているように見えます。尾が欠けたり身体に穴が開いていたりと痛みが激しく見られます。尚、作者の森五兵衛は大窯末期の細工物と茶器の名工だったそうです。
狛犬の拡大写真はこちらで |
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(備前釜元・森五兵衛正統、服部章兵尚芳 文政9年(1826)丙戌9月吉日建立) |
入口の明神鳥居 |
鳥居に架かる額「八幡宮」 |
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開運鞍 |
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石段参道の様子 |
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随神門 |
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境内入口 |
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拝殿 |
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拝殿目貫彫刻・龍 |
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