備前市伊部628 (令和5年1月6日)
東経134度09分55.04秒、北緯34度44分19.70秒に鎮座。
この神社は、JR赤穂線・伊部駅の北東400m程の辺り、伊部の街中に鎮座しております。
由緒によると、創建は応永18年(1411)とされ、初めは浦伊部宮前に祀られていましたが、伊部に疫病が流行した時、名主に御神託があり天正7年 (1579)現在地に遷宮しました。
初めは医薬・病気平癒の神様である少彦名命をお祀りし、後に菅原氏の荘園であった関係から学問の神様・菅原道真公を配祀しました。また地主の神、大己貴命と忌部の陶祖である天太玉命も境内奥の忌部神社に配祀されています。
本殿は延宝6年(1678)の建築で、備前市指定文化財になっています。
境内には日本で最も古い歴史がある焼き物である、備前焼の狛犬、備前焼のタイル参道、備前焼の瓦、備前焼の角陶印陶板が飾られた壁、備前焼の十二支など、備前焼製のもので溢れていて、焼き物好きの私と娘は飽くことなく楽しい時間を過ごせました。蛇足ですが、この日は午前中に備前焼の陶芸体験コースで小鉢などを造り、2ヶ月後の焼き上がりを楽しみに待っている、今日この頃の私です。
御祭神 少彦名命・菅原道真・天太玉命・大巳貴命
由緒
当社の由緒等は不明であるが、創建は古老の口碑によると応永18年(1411)である。
当初、少彦名命を祀り、後に昔から伊部、浦伊部は菅原氏の荘園であった関係により菅原道真公を配祀した。
社殿は当初、浦伊部宮前に建立されていたが、伊部に疫病が流行した時、当時の伊部村名主に神託があり、天正7年(1570)、現今の地に遷座すると疫病は平癒した。
伊部村民は氏神と崇敬し病気平癒、学問の神、産業陶器の神として神徳あらたかとなっている。
少彦名命(すくなひこなのみこと)は神産日神の御子であり、「日本書記」に大己貴命と力を合わせて国造りをされた神様で「病気を治す方法と災いを祓うまじないの方法を定めた」とあり、医薬の神様、病気平癒の神様である。
菅原道真公(すがわらみちざねこう)は学問の神様で昌泰2年(899)左大臣となり、後に九州に西下される。その途中腰掛けて休憩されたのが、履掛天神宮(伊部西に鎮座)にある履掛石である。
延喜3年(903)菅原道真公没後、天下に雷雨が続き、これは菅原道真公の霊のなすところと延喜9年(909)天神様として祀られ、学問に秀でているところから学問の神と仰がれた。
氏子の中に備前焼関係者も多く、境内には様々な備前焼が配されている。
岡山県神社庁公式サイト より。
参道入口
鳥居
参道左右の狛犬。拡大写真はこちら。
(万延2年(1861)辛酉3月吉日建立)
参道
参道脇の狛犬。拡大写真はこちら。
備前焼神門
神門前の狛犬。拡大写真はこちら。
浮彫りの狛犬。拡大写真はこちら。
屋根上の狛犬。拡大写真はこちら。
屋根上の狛犬?。拡大写真はこちら。
備前焼
参道
参道左右の狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)
随身門
随身様
拝殿
拝殿内部
本殿覆屋
神武天皇社 | 稲荷神社 |
備前焼
末社
備前焼
七福神社
社日 | 子宝いぬ |
忌部稲荷社