天満宮

燕市吉田下町(平成18年5月3日)

 この神社は越後線・吉田駅の北約400mに鎮座しています。
 由来によると、「吉田町の天神様は、古来、出世天神と称せられて、祈願すると必ず立身出世が出来るといわれ、祈願の記念として御祭に出ている植木を買い求め植えておくと、その木が成木する頃、自分の願望も成就するという信仰があり、御祭に植木を買い求める人が多く、「吉田町の植木祭」の別名さえあります。
 天神様の祭主・今井家の祖は、近江の国(現在の滋賀県)の人で、織田信長の浅井・朝倉攻めの際、浅井方に属し、浅井家滅亡の後に、岩室天神山の小国氏を頼り、食客として二代余を過ごし、小国氏会津移封を機に、吉田郷へ移り住み、以来今井家の当主は永年毎月岩室天神山の天満宮にお参りする慣例になっていましたが、江戸中期、お参りの帰途、子供が西川に流れて来た天神様の像を拾い上げて遊んでいるのを見て、感ずる所があり是を譲り受け、今井家の守護神として屋敷内にお祭りしていました。けれど、弘化3年(1846)、神様を同じ屋敷内にお祭りして置くのは畏れ多いと言う考えから、現在地に遷座しました。」とあります。
 普通のお屋敷のような門構えの入口を入ると、境内は日本庭園のような造りで、拝殿と本殿の間には神池があり、神橋が架かっています。狛犬はブロンズで、拝殿内には菅原道真公と随神さんが飾ってあり、この地域の神社としては異質な感じがしました。

神社入り口 参道の両部鳥居と奥に拝殿
建立年代不明のブロンズ狛犬。吽には角の様な突起が付いています。
まさかこれが由緒にある天神様の像とも思えませんが、拝殿内に飾って有りました。
本殿への参道 本殿
本殿前の出雲構え獅子。阿は後ろの片足、吽は尻尾が無くなっています。
神楽殿