弥彦神社

西蒲原郡弥彦村弥彦(平成18年5月3日)

 この神社は弥彦線・弥彦駅の北900m、越後平野の中央に聳えたつ弥彦山の麓に鎮座する越後国一の宮として、古くから栄えた式内社です。
 延喜式神名帳に載る蒲原郡十三座の一社で越後国唯一の「明神大社・伊夜比古(いやひこ)神社」ですが、明治以降「弥彦神社」の表記が一般的となり「やひこじんじゃ」と呼ばれるようになりました。
 御祭神は天照皇大神の曾孫にあたる天香山命で天孫降臨に祭し供奉し、紀州熊野に住み、神武東征のおり大功をたて、後、北辺鎮護・国土開発のため越後に降り、漁労や製塩、稲作、養蚕などの産業を教え、地方文化の基を開いた神です。このため越後国を造った神として弥彦山に祀られ、「伊夜比古神・おやひこさま」と呼ばれて崇敬を受け、また、神武東征にも功績のあった神として武人からの崇敬も篤く、日本一とも云われている応永22年(1415)に越後国古志郡夏戸の志田三郎定重が奉納した巨大な志田大太刀(しだのおおたち、重要文化財)や、源義家や源義経等に縁の品と伝えられる武具などの文物が社宝として宝物館に展示されています。参道右奥に素晴らしい神楽殿が建っていましたが、ここでは重要無形民俗文化財指定の舞楽・神歌楽(かがらく)が灯籠神事(毎年7月25日)に奏されています。神歌楽は神武天皇ご即位の大典の際、 弥彦の大神自らが奉奏したと伝えられる舞、 天犬舞(あまいぬのまい)とともに一社伝来の秘舞として継承されてきました。
 弥彦山の麓に鎮座し、弥彦山全体を神域とするこの神社はうっ蒼とした社叢を持ち、参道脇の老杉や大欅は見るからに神々しい雰囲気を醸し出しています。ここは元々杉林だったようですが、明治45年の火災により社殿が消失、大正5年に境内に場所を移して再建された社殿造営のために切り開かれた物だそうです。弥彦山頂には御祭神の神廟があり、境内社に、武呉大神 (天五田根命)、草薙神 (天戸國命)、今山大神 (建筒草命)、勝神社 (建田背命)、乙子大神 (建諸隅命)、貳十二所社、八所神社、十柱神社が有ります。

日本一の大鳥居。遠景と近景。間近で見ると一層その巨大さが実感できます。
神社入口と両部鳥居 社号標
入り口付近の参道の様子 御手洗川にかかる玉の橋と
旧禊所でしょうか。
神門へと続く参道 東参道入口と伊勢鳥居
休憩所・絵馬殿 参集殿
楽舎 神楽殿
神門 境内内から見た神門
今回、夫が観光パンフレットでこの狛犬の小さな写真を見て、
「弥彦神社にも狛犬が居るぞ。」と、遙々訪ねて参りました。
あそこまでふんぞり返ってはいませんが、厳つい小顔で首が長く、
姿勢正しく正面を向いている、日本最古の狛犬といわれる奈良・東大寺系の狛犬でした。
少し苔むして牙が生え、貫禄充分です。
(大正5年10月建立)
回廊内では盆栽祭りが開かれ、新潟県の盆栽好きの皆さんの力作がご披露されていました。
弥彦山を背景に、荘厳な拝殿 流造の優雅な本殿。かなりの規模です。
神門手前の右手奥には、重要文化財の十柱神社等、御祭神の天香山命の
後嗣の神々などを祭る境内社が、纏められていました。
境内社群をお守りしている明治43年生まれの狛犬。
阿は頭に張り付いたような角が付いています。新潟特有の「おでこちゃん気味」の狛犬ですが、
全体的に力強く、尾や鬣の太い縮れ毛、太い眉、顎下の短い髭が印象的でした。
纏まりがある良い狛犬だと想います。
(明治43年4月建立)
重要文化財の十柱神社社殿
(大穴牟遲命、彌都波能賣神、速秋津日子神、速秋津日女神、阿須波神、波比岐神、大山祇神、大地主神、埴山姫神、草野姫神)。
元禄7年(1694)長岡藩主・牧野氏が奉建し、明治6年、信濃川分水工事中止の祭、石湊に創建した神社祭神を祀っています。
苔むした茅葺き屋根が、何ともいえない風情を醸し出しています。
神門手前の右手奥に纏められている境内社群
 
境内社・武呉大神(天五田根命) 境内社・草薙神(天戸國命)
境内社・武呉神社の木鼻狛犬
  
境内社・今山大神(建筒草命) 境内社・勝神社(建田背命 )
境内社・乙子大神(建諸隅命) 境内社・貳十二所社
(伊勢大御神、石清水八幡宮、加茂大明神、松尾大明神、平野大明神、稻荷大明神、春日大明神、大原大明神、大神神、石上神、大和神、廣瀬大明神、竜田大明神、丹生神、住吉明神、貴船大明神、吉田神、廣田大明神、北野大明神、梅宮坐神、祇園神、日吉神 )
境内社・八所神社
(香取大明神、熱田大明神、香嶋大明神、氣比大明神、諏訪大明神、江文大明神、渡津大明神、氣多大明神 )
弥彦神社桜苑
種類の異なる色とりどりの桜が満開でした。