新潟市江南区天野(平成18年5月5日)
東経139度2分23.37秒、北緯37度50分48.34秒に鎮座。
この神社は1号線の天野バス停から土堤を降りて北上し、900m程で左側に鎮座しています。
神仏混淆の時代の名残の神社で、素木の宗忠鳥居が建ってもいることから、一応神社といえるかな?と、掲載しました。社地内の裏側にはごく普通の民家が建ち、もしかしたら屋敷神なのかもしれませんが、地図にも掲載されていたので訪ねたのでした。
【神社情報・岡田 清さんより】(平成22年6月14日)
この神社は、帝釈天(加藤霊廟)とよばれ、以下に「コトバンク」からの引用をお示しいたしましたが、加藤順蔵を祭った神社です。加藤順蔵は私財をなげうってそれを治水事業に宛てたため、財産をほとんどなくしてしまいました。このため村民がせめてものお礼にと、加藤家の敷地内に祀ってくれたものと聞いております。
また、加藤順蔵は平民であったため、彼を主祭神にはできなかったのだとも聞いております。加藤家は、小生の母方の実家に当たります。
加藤順蔵 かとう-じゅんぞう(1815‐1879)
江戸後期-明治時代の治水家。
文化12年生まれ。越後(新潟県)蒲原郡曾根木村の庄屋。
37年かけて蒲原郡天野地方の信濃川流域に堤防をきずき,氾濫をふせいだ。
明治12年4月8日死去。65歳。名は正興。
(コトバンクより)
管理人からの一言
日本全国の神社を参拝させていただいていると、時々、加藤順蔵命のように、治水工事、新田開発などに、命や全財産をかけて取り組まれた方を祀る神社を見かけますが、並々ならぬご苦労とその恩に酬いるために、村民が一致団結して神社を建立したという歴史があるようです。こういう神社に参拝させていただく度に、改めて先人の多大なるご苦労を感じ、日本の農業や、風土について再考している管理人夫妻です。
岡田様、有難うございました。
神社入口に立つ木製鳥居 |
社殿 |