新潟市中央区三和町 (平成18年5月6日)
この神社はJR新潟駅の北約1.1km、国道113号線・ボトナム通の三和町信号を南東にはいると、すぐ右手に鎮座しています。
由緒書きによると、江戸中期の延享3年(1746)、この地が附寄島と称した信濃川の中洲だったころは洪水に悩まされていたましが、安倍玄的が開拓に着手し、翌、延享4年(1747)島内に祠を設けたのがこの神社の起源です。開拓は村民の努力により成功し長岡藩の領地となり、文化14年(1817)には現在の御祭神である三柱が祀られました。その後、弘化元年(1844)には天領となり,地名も流作場と改称しました。神社は創建当初「玄的のお宮」と呼ばれ「流作場太神宮」の神号でしたが,明治の初めに「三社神社」と改称しました。 御祭神は大日靈貴尊(神明宮)、誉田別尊(八幡宮)、武甕槌命(鹿島神社)です。また昭和55年には境内の一画に石宮大神を祭る石宮神社が遷座してきました。