白山神社

新潟市中央区一番堀通町 (平成18年5月4日)

 この神社は新潟総鎮守で、信濃川に架かる昭和大橋の北、164号線に面して鎮座しています。

 御祭神は菊理媛大神、伊邪那岐大神、伊邪那美大神、配祀神は天照皇大神、八幡大神、合祀神は稲荷大神、天満天神、出雲大神、住吉大神、香取鹿島大神、三峰大神、金刀比羅大神、春日大神、松尾大神、淡島大神と数多くの神様をお祀りしていますが、これは明治6年政府の公園設置の布達により、松林の境内に点々と建立してあった摂社・末社を全部御本殿に合祀したため、御祭神が多いのだそうです。
 主祭神の、菊理媛大神は別名を、白山媛と言われ乱れた糸をくくり整えることから、縁結びの神といわれていますが、加賀の白山頂上に祀られている女神で、この 神様を勧請して新潟の地に祀ったものです。白山神社の建立の年代は永禄・天正の二度の火災で旧記を失い知ることはできませんが、延喜(901〜)とも寛治(1087〜)ともいわれています。しかし、元亀年中(1570〜)に、白山神社別当だった宝亀院住職憲海が五寸の十一面観音銅像、宝剣、鏡を白山神社に安置したことが記録に残っています。戦国時代には、上杉景勝が戦勝の帰途に鏡と啓を寄進、当時すでに大社であったことが伺えます。長岡藩治下においては、藩主牧野氏の崇敬するところとなり、大いに栄えました。また、明治元年の神仏混交の禁により十一面観音は宝亀院に引き渡され、今もあります。例祭は7月15日です。(白山神社HP参照)

 朱の鳥居を潜ると左側は白山公園となっており、元神社の境内だった所です。明治6年に、文明開化のシンボルとして作られた市民公園で、オランダ風の庭園ですが、ハス池を囲み、老松が聳え梅林もあります。この公園も含めた一帯は緑が多く、市民にも親しまれる落ち着きのある綺麗な神社でした。

表参道入口 社号標
二の鳥居前の狛犬
(石工・竹石 籐吉  昭和17年10月建立)
二の鳥居 三の鳥居
三の鳥居前の備前狛犬。
堂々として、岡山で見た備前よりも保存状態も良く、体躯も大きい様に感じました。
吽は角付きです。でも備前は大きさにかかわらず印象が似ています。
(大正6年(1917)12月建立)
四の鳥居 荘厳な随神門。
ここには500体の女神像が安置されているそうです。
重厚な拝殿 拝殿内の様子
天狗・鴉天狗の面、軍人さんの奉納のようです。 湊での米の積み込みの風景を描いた大船絵馬の額。
拝殿内左右の屏風?には、綺麗な狛犬が描かれていました。
本殿は正保4年(1647)に建てられました。緩い流造りの屋根で、綺麗に彩色されています。
境内社・繁昌大黒 本殿脇の境内社への案内
本殿脇の境内社への入口
餅搗き道祖神
境内社・蛇松明神社
(蛇松神社大祭 5月18日)
蛇は己の神として白山神社の神使いでもあり、霊力に富み霊聖なるものとして神霊と関係が深く、また己は「み」「身」に通じ、金銭財宝、並に、福が身につくという縁起に通じ信仰されてきました 。
境内社・松尾神社
(例祭 4月16日・10月16日)
本社は京都最古の神社の内の一社といわれ、起源は神社後方の山中頂上の磐座を信仰の対象としていましたが、秦氏が大宝元年(701年)社殿を建立し、賀茂別雷命の父神・大山咋神を祀り、氏神としました。中世以降、醸造の神様として、全国の酒造家などから信仰を集めています。
境内社・黄龍神社
(大祭 5月3日)
御稲御倉
境内社・新潟湊鎮護 住吉神社入口 境内社・住吉神社社殿
住吉神社内には御神輿が飾ってありましたが、その屋根上では金の獅子頭が睨みを利かせていました。
多分住吉神社の狛犬と思われますが、住吉神社前が駐車場となっているため脇に移動させられたものと思われます。
台座には昭和10年9月建立とありますが、宝暦・天明(1751〜1788)の頃に出雲で作られた出雲構え獅子という解説もあるそうです。
この子達は越後で造られた物ではなく、典型的な出雲構え獅子です。
(台座・昭和10年9月、宝暦・天明(1751〜1788)の頃に出雲で作られたものという解説もあるそうです。)
ふり袖針塚碑 筆塚碑
鐘楼 駐車場近くのお地蔵さん。大事にされているようです。
裏参道入口