吉野神宮

吉野郡吉野町吉野山3226(平成23年1月7日)

東経135度50分54.17秒、北緯34度22分52.61秒に鎮座。

 この神社は、建武中興十五社の一社で、近鉄吉野線・吉野神宮駅の南西約700mに鎮座しています。吉野山の北西麓付近に鎮座するこの社の一の鳥居は近鉄吉野線・吉野神宮駅の近くに建ち、そこから1Kmほど登ると社号標と二の鳥居が立つ表参道入口になります。鳥居をくぐって広い参道をしばらく歩くと、招魂社系狛犬が護る大鳥居が立ち、広場の向こうに神門があり、境内の右には建武中興の功臣を祀る御影神社(藤原資朝卿、藤原俊基卿)、船岡神社(児島高徳卿、児島範長朝臣、桜山磁俊朝臣)、
瀧櫻神社(土居通増朝臣、得能通嗣朝臣)の三神社が配され、正面の拝殿・回廊が回された中に幣拝殿、本殿が建立されています。
 又、南参道入口には文化10年生まれの浪速狛犬もいました。
 広大な社地に、清々しく威厳のある社殿が建立さえている、天皇を祀るに相応しい神社でした。

 御祭神:後醍醐天皇
 祭礼日:1月1日・元旦祭、1月3日 元始祭、2月17日 祈年祭、4月第3日曜日・春の大祭(建武中興記念祭)、7月31日・夏越大祭、9月27日・秋の大祭(後醍醐天皇崩御日)、12月23日・天長祭、12月31日・大祓
 境内社:御影神社、船岡神社、瀧櫻神社
 由緒:吉野神宮の歴史
 吉野神宮は、吉野町大字吉野山小字丈六に鎮座し、後醍醐天皇を奉祀する別表神社(旧官幣大社、現神社本庁管轄下)である。吉野山は、後醍醐天皇が文保2年(1318)の践祚以来天皇親政を志し、北条氏を倒して建武中興を成就したが、足利尊氏の造反にあい延元元年(1336)12月吉野山に遷幸され、吉野朝廷(京都の北朝に対して、南朝という)を樹立したところとして知られる。吉野朝廷は、一時期「吉水院」に行宮(皇居)を定めるが、のちに、「実城寺」を行宮と定め、「金輪王寺」と改称。「吉水院」は、明治維新の神仏分離令の際、廃寺となり、明治8年(1875)「吉水神社」と改称。これは、明治7年に、天皇親政復古を目指した建武中興の理想が成就されたとして、「後醍醐天皇社」という名称のもとで創立が許可され、天皇ゆかりの旧吉水院内に祀ったことによるものと考えられる。しかし、後醍醐天皇の奉祀神社の創建を一寺院を改称して充てるのは、不見識であるとされ、明治22年(1889)6月、「吉野宮」として新たな社殿を創立し、官幣中社に列された。明治25年(1892)の社殿完成にともなって、後村上天皇の勅命により吉水院(吉水神社)に奉安されていた、後醍醐天皇の御宸像が奉遷され、明治34年(1901)には、「官幣大社」に昇格し、さらに、大正7年(1918)には、神宮の号を奉称して「吉野神宮」と改称された。

 吉野神宮の信仰
 吉野神宮は、第九十六代後醍醐天皇を祭神とする。明治25年(1892)社殿が竣工、後村上天皇が御自ら刻まれたと伝えられる後醍醐天皇の尊像が吉水神社から移されて御神体とされた。従って、後醍醐天皇の御霊をお祀りする歴史は650有余年の昔に遡る。後醍醐天皇は御幼少の頃より学問の研鑚に御心を注がれ、また歌道など文化面にも深く御修養をお積みになられた。さらに真言・天台・禅宗などの奥義も極められたと伝えられている。このような尊い御神霊をお祀りする吉野神宮への参拝は、御祭神の広大無辺な御神徳をいただかれることになるであろう。
(「吉野神宮公式サイト」より)

建武中興十五社の一社で、旧社格は官幣大社である。旧社名 吉野宮。
 南朝の後村上天皇は、父の後醍醐天皇が延元4年(1339年)に崩御した後、その像を吉水院に安置した。以降、仏教式の供養が行われていたが、神仏分離により明治6年(1873年)、吉水神社に改称して後醍醐天皇を祭神とする神社となった。
 これとは別に、明治22年(1889年)に後醍醐天皇を祀る官幣中社吉野宮の創建が、明治天皇の意向で決定し明治25年(1892年)に社殿が竣工して、吉水神社から後醍醐天皇像を移して遷座祭が斎行された。明治34年(1901年)に官幣大社に昇格し、大正7年(1918年)に吉野神宮に改称した。
 本殿・拝殿・神門はかつて後醍醐天皇が京都の御所へ帰還される事を熱望されていた心情を汲んで、京都の方角を向き、北向きに建てられている。総檜造。近代神社建築の代表とされる。2010年、本殿、祝詞舎及び楽舎、裏門及び透塀、神庫、拝殿、廻廊、内玉垣、神門、神符授与所、宿衛舎、東門、外玉垣、神饌所、表手水舎、裏手水舎、井戸屋形、修祓所、参集殿、制札屋形、大鳥居、表鳥居、裏鳥居の22件が国の登録有形文化財に登録された。
 境内は、桜の名所。金剛山・葛城山が遠望できる。
 摂社三本殿
 御影・船岡・滝桜の3社が並ぶ。祭神は南朝方で活躍した、日野資朝、日野俊基、児島範長、児島高徳、桜山茲俊、土居通益、得能通綱。これら摂社の本殿・拝殿4棟も2010年に登録有形文化財に登録された。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

近鉄吉野線・吉野神宮駅近くに立つ一の鳥居と社号標
表参道入口
表参道入口に立つ二の鳥居 社号標
表参道の様子
表参道から見る大鳥居
大鳥居前にいる建立年代不明の招魂社系狛犬
狼と見間違うほどスマートな狛犬で、尾の模様が面白いですね。
狛犬の拡大写真はこちらで
大鳥居
木造明神型、柱真々21尺 総高25尺6寸
昭和5年4月新築、昭和50年6月修築。
神社前広場
三間一戸八脚門、切妻造の形式の神門
境内の様子
桁行五間、梁行三間、入母屋造・平入りの拝殿
本殿へと続く参道
幣拝殿
本殿
本殿は壇正積基壇に建つ三間社流造で向拝は土庇の形式で、屋根は銅板葺とし、棟には箱棟を置き、千木、堅魚木を飾る。身舎内は前後に仕切って内外陣境(扉口三口)を設けるため、正面および外陣両側面では板扉を装置する。残る側背面は板壁としている。

吉野神宮:三摂社拝殿
滝櫻神社本殿 船岡神社本殿
御影神社本殿
南参道入口に立つ木製鳥居 社号標
南参道入口にいる文化10年生まれの浪速狛犬
この社は明治25年創建です。この狛犬はそれより古い物なので、吉水院(吉水神社)からご神体の後醍醐天皇像を移したときに、一緒に持ってこられたのでしょうか?とっても浪速らしいの浪速狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(文化10年(1813)癸酉正月吉日建立)