矢田坐久志玉比古(やたにいます くしたまひこ)神社

大和郡山市矢田町965(平成23年1月6日)

東経135度45分2.23秒、北緯34度38分52.68秒に鎮座。

 この神社は矢田小学校西に鎮座しています。小学校戸の間には神池があり、その前に左座仮屋が建立されています。  入口の鳥居を潜ると参道は真っ直ぐ北に向かい、中島飛行機製の陸軍九一戦闘機の木製のプロペラが掲げられた珍しい楼門に行き着きます。楼門入口左右には折良く1月8日の綱掛祭で使用される雄龍雌龍になぞらえた二本の太い綱が置かれていました。
 往古から白庭と呼ばれる境内には、二の鳥居が立ち、左右に饒速日命の「二之矢塚」の伝承碑や磐座と思われる石があります。背後には深く大きな森があり、樹高の高い木々の中に、落ち着いた佇まいの開放的で大きな入母屋造りの拝殿が建ち、その背後の石段の上に中門、本殿が建立されていますが、この日は拝殿内で御祈祷が行われており、写真の撮影も遠慮がちに控えていたので、次の機会にきちんと参拝と撮影をしたいと考えています。尚、重要文化財・本殿の写真を御覧になりたい方は、「大和郡山市公式サイト」に紹介されておりますので、そちらで御覧ください。

 御祭神:櫛玉饒速日命、御炊屋姫命
 祭礼日:例祭・10月第四土日、綱掛祭・1月8日、筒粥占祭・2月1日、航空祭・9月20日
 境内社:八幡神社、春日若宮神社、天磐船、八坂神社(境外)、主人神社(御旅所)
 由緒:旧懸社。延喜式内社で、古くは矢落大明神 又は、矢田の大宮と称し、神裔は雄族物部氏である。
 創建年代は不祥であるが、六世紀前半期の頃までは畿内随一の名社として栄えたと伝えられ、当地方最大の古社である。古典に「天磐船に乗りて大空を翔行り」の古事に基づき航空祖神として、斯界関係者の崇敬を聚め恩恵を蒙っている。
 本殿二棟は重要文化財
(「境内案内板」より)

 櫛玉饒速日命は御別名を、天照国照彦火明櫛玉饒速日命と称し奉ります。
 御父神は正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(天之忍穂耳命・天照坐皇大神の御子)、御母神は萬幡豊秋津師比売命(栲幡千千媛)であられます。御父神が天津神の命により、天孫降臨に先立ち豊葦原中津国仮平定のために天降ろうとされたときにお生まれになりました。御父神は天津神に御子神を御自分の代わりに天降らせ給えとお願いになりました。
 天津神は命を御召しになり天璽の十種の神宝を御授けになり、『若し痛むところがあれば此の十種の神宝を使って、一二三四五六七八九十と唱えて打ち振りなさい。そうすれば死者も甦ります』と申され、あわせて天羽羽矢・天羽羽弓(天歩靫)をも授けられました。三十二従神を率連れ天磐船に御乗りになり、初めに河内国の河上の哮峯に天降られ、その後大和の鳥見の白庭山(現在地にして御終焉の地)に遷り住まわれます。
 命は天磐船に御乗りになり、天空を翔け巡りながら三本の天羽羽矢を射放たれ、矢の落ちたところを宮居と定め天降られました。一の矢は神社南方約五百メートルに、二の矢は神社境内に、三の矢は神社北方約五百メートルに落ちました。このことから御社号を『矢落神社・矢落大明神』とも申し上げ、この地を『矢田』と呼ぶようになりました。土豪の長髄彦(登美能那賀須泥毘古)の妹の御炊屋姫(登美依毘売)を娶り妃とし、宇摩志麻遅命(宇美真手命・建国時の近衛長官)をお生みになります。
 神武天皇が東征されると、命は既に平定を済まされていた畿内一円を御渡しになられます。天皇は東征出発の前、天璽を授かった日の御子が、天磐船に乗られ、東の四方を青山に囲まれた美地に天降られていることを塩土老翁(塩椎神)から御聞きでしたので、命の忠節を殊の外喜ばれ、神剣を御授けになり大勲に報い給われました。御神裔の物部氏の崇敬篤く、御創建当初より六世紀前半期に至る間は畿内随一の名社として栄え、御社殿は宏壮美麗を極めた当地方最大の古社でありました。
 命と共に降臨した一族はこの地に定住し、命没後、御魂を安めるため社を建て祭祀を執り行っています。毎年一月八日に御神域前面に大綱を掛ける『綱掛祭』は、雄龍雌龍になぞらえた二本の太い綱を用意し、御神前にて更に一本の大しめ縄にないます。水神としての龍の力を仰ぎ、適度な降水による農作物の豊かな恵みと水運の安全を祈願し、雄龍雌龍が結ばれることによる子孫の繁栄を祈ります。天磐船の降りた処に守護神の龍神を示す縄を幾重にも巻き、命への永遠の側近警護をお誓いします。
 天璽の十種の神宝の御神徳から治病息災健康長寿の神・医術の祖神『医療祖神』と共に、近年は天磐船の故事から飛行の祖神『航空祖神』として、航空関係者・旅行者の崇敬が寄せられています。楼門のプロペラは昭和十八年、大日本飛行協会大阪支部から奉納された中島飛行機製の陸軍九一戦闘機のもので、堀丈夫陸軍中尉より『神威赫奕』と揮毫されています。
(「参拝の栞」より)

社頭
入口に立つ一の明神鳥居 社号標
参道の様子
右側の建物は、左座仮屋。
楼門前にいる浪速狛犬
建立年代不明で、吽には角が付いています。願掛け狛犬のようですが、堂々とした浪速の特色が良く出ている狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
楼門
楼門に掲げられたプロペラ
このプロペラは大日本飛行協会大阪支部から奉納された中島飛行機製の陸軍九一戦闘機のものです。木製のプロペラだったんですね。
楼門の左右に置かれている大綱
この大綱は雄龍雌龍になぞらえた二本の太い綱で、1月8日の「綱掛祭」で一本の大注連縄になります。「綱掛祭」は水神としての龍の力により、適度な降水による農作物の豊かな恵みを祈願し、雄龍雌龍が結ばれることによる子孫の繁栄を祈る祭りだそうです。
境内(白庭)の様子
境内(白庭)に立つ二の鳥居
天磐船「舟人神」・伝承「二之矢塚」
櫛玉饒速日命が、天磐船から三つの矢を放ち、
その二の矢が落ちた場所がここだそうです。
磐座?とご神木
拝殿
本殿正面
お正月で中門の扉が開いていた様です。下の境内から本殿正面が望めました。本殿は室町前期の建立で、一間社春日造檜皮葺の社殿です。
絵馬