宇太水分(みくまり)神社・下宮

宇陀市榛原区下井足水分山635(平成19年1月3日)

 この神社は近鉄大阪線・榛原駅の南約700m、舟形山という丘の上に鎮座しています。菟田野区上芳野の芳野鎮座式内惣社宇陀水分神社(上宮)、菟田野区古市場245 の宇陀郡総鎮護宇陀水分神社(中宮)と共に、「宇陀水分三社」といわれる古社の下宮です。大和朝廷時代の飛鳥を中心として、東にあたる宇陀地方の水の守り神として、芳野川流域に創祀され、それぞれ一郷の惣社として崇敬されてきました。以前上宮と中宮には参拝しましたが、下宮は今回初めての参拝でした。奥に細長い丘の上の社地は、豊かな杜の中にあり落ち着きと品格を備え、気持ちの良い参拝ができました。

 主祭神:天水分神、国水分神、天児屋根命、品陀別命 
 末社:石神神社(磐長比資命)・稲荷神社(宇迦之御魂神)・金刀比羅神社(大名牟遥神)
 由緒:当神社の創祀年代は詳らかにし難いが、所伝によれば崇神天皇15年(紀元前83)9月21日勅祭云々とされている。太古の国史「三代実録」(奈良時代−平安時代に編集された六国史本)によれば、「貞観元年」(869)9月8日宇太水分神社へ風雨祈願のため勅使を遣わし幣(お金や織物等)を奉ったとあるから、その由来は実に古く、水分神は「ミクマリ」と読まれ、五穀豊穣と、生命を宿す御神徳の高い農耕神として、人々の崇拝の対象とされてきたことを物語る。
 延喜式神明帳では、当水分社は葛城、都祁、吉野水分と共に大和の四水分の大社とされていたが、応保年間(1160年)頃より芳野川にそって三所三座(当社・古市場社・芳野社)に祀られている。「延喜式登載」や「水分由来集」や「神体形相記」によると、 玉岡(古市場)水分は男躰、田山(井足)水分は女躰、中山(芳野)水分は童躰とあって、 かって祭礼には、中山水分から田山水分まで神輿の御渡があったと、伝えられている。
 明治の始め頃までは、本殿を始め、附属の建物はすべて古い形式で(春日造)であったが、明治十一年、神社形式令により県社の指定を受け現在の神明造りになっている。(境内略記より)

神社入口 社号標
「式内大社 縣社 宇太水分神社」
参道の二の鳥居 緑濃い参道の様子
白石の敷き詰められた
綺麗な境内と厳かな拝殿
鎮守の杜にとけ込んだ様な
檜皮葺き神明造りの本殿
境内社・金刀比羅神社 境内社・稲荷神社
          境内社・金刀比羅神社社殿の拡大写真です。
決してぶれているわけではありません。小さな狛犬さんが所狭しと並んでいました。狐さんがこうして並べられているのは何回も見ましたが、狛犬がこんなに沢山勢揃いしているのは初めてです。余程霊験あらたかで御利益があるのでしょうか?