和爾下神社

天理市櫟本町(平成17年1月3日)

この神社は式内社で江戸時代までは『治道宮』と呼ばれ御祭神、素盞鳴命=牛頭天王から『天王社』、また丘下に建てられた「柿本寺」との関係から『柿本上社』とも云われましたが、明治初年に『和爾下神社』に社名を変更しました。本殿は桃山時代の様式を残した三間社流造り、檜皮葺で重文に指定されているそうです。御祭神は本殿中央が素盞鳴、左側が大己貴、右側が櫛稲田姫となっています。この辺りは古には和珥氏の本拠地であり、この神社は和爾下神社古墳の後円部上に建ち、一族の氏神でしたが、今は櫟本町の鎮守の神社です。又和珥氏の子孫である歌人、柿本人麻呂の遺髪が境内に葬られたとの伝承があり、神社前の小古墳は柿本人麻呂の墓といわれ、歌塚と刻まれた石碑が建っています。これらはこの神社に詣でた折り、犬を連れた地元の古老からお聞きしたもので如何にも誇らしくお話になっているお姿が今でも脳裏に蘇ります。又此処では珍しい趣味の方にもお会いしました。まだお若い方でしたが墓石に興味があり、全国のお墓を訪ね歩いて居られるようです。此処には古墳上に神社があるという事で訪ねられたようでした。

参道入口、この右手に古墳があり階段を登っていく事になる

とても立派な拝殿

重文の本殿

階段上の扁平横広顔の愛嬌者の狛犬。

(大正14年10月建立)

本殿前のズングリムックリの古げな狛犬。

境内社垣根前の昭和狛犬

境内社社殿前の招魂社系狛犬

柿本人麻呂が葬られたと
されている場所。
派手な幟が沢山はためいて
どちらかというとこちらの方が
目立ちました。

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