天理市福住町1841(平成23年1月4日)
東経135度54分47.47秒、北緯34度36分37.77秒に鎮座。
この神社は名阪国道・福住ICを降りて25号線を北上し、186号線に入ると150m程で右側に入口があります。
立派な社号標と灯籠の立つ入口から、参道は真っ直ぐ杉の巨木が林立する鎮守の杜に向かい、社地の前を流れる布目川の支流に架かる神橋を渡ると神社に到着です。鳥居を潜り参道を行くと手水舎で突き当たり、右に曲がると灯籠と注連柱が建立されていて、中程にスロープが造られた石段を上がると境内です。
広々とした境内の左右には座小屋?と思しき建物、右には社務所が配され、座小屋?には清生流の生け花が清々しく且つ華麗に活けられていました。中央奥にはとても横に広い唐破風付きの厳かな拝殿が建立され、奥の玉垣内に檜皮葺の本殿が建立されています。本殿左や神池の奥に境内社が数社祀られています。
又、拝殿と本殿の間や本殿縁、境内社の三柱神社(御霊大神・天照皇大神・八幡大神)、二柱神社(春日大神・白山大神)に合計三対の特徴的な狛犬がおり、狛犬ファンには楽しみが多い神社です。
御祭神:闘鶏稲置大山主命、大鷦鷯命、額田大中彦命
祭礼日:10月15日・例大祭、7月第3月曜日・献氷祭
境内社:三柱神社(御霊大神・天照皇大神・八幡大神)、二柱神社(春日大神・白山大神)、厳島神社、事比羅神社、金比羅神社
由緒:畏くも当神社は国史所載の都祁氷室神社にして 御祭神特殊の御功徳に対し 旧号を福住氷池の宮 又は 都介氷室 或は 福住氷室とも称し 氷一切に関する守護神として 今を去ること壱千四百余年前 允恭天皇三年辛酉朔正月下旬 時の大臣三田ノ宿禰を奉じて 本邦氷室濫觴の霊地たる闘鶏氷室の傍に鎮座し給ひ 以来皇室の崇神殊の外厚く 古くは氷室神祭氷池神祭氷池風神祭 いづれも官幣に預り来りし 最も尊き大神にましますなり。闘鶏稲置大山主命は 神武天皇の皇子神八井耳ノ命の裔 都介国造の後にして 今日の機械氷たるの前身として 壱千六百有余年の昔 人智未開の時 天然氷を貯え且つ其利用の道を発明して是を教え給ひ 或は 凍豆腐の製造を創始して 今日あらしめ給う大神なり。
大鷦鷯命は諡名仁徳天皇にして 献氷の典例を開かせ給ひし大神なり。額田大中彦命は仁徳天皇の御弟にして 貯氷の術を奏上して献氷せしめ給ひし大神なり。人皇第十六代仁徳天皇の御宇、額田大中彦皇子闘鶏野に狩し給ひ 初めて氷室を観 これを齎し帰りて天皇に献じられしより 氷室の献進永く国例となり 年々朝廷に氷を貢ぎ 爾後都を遷す毎に氷室を京城の近傍に設けられしも 福住氷室は其根元の所なるを以て供進に預り来りしこと 国史に詳なり。今も 神社後方室山(氷室山の異称)に 古昔献氷を取りし由緒ある茅荻池及び天然氷を貯蔵せし氷室跡 又は 塔の森に 此氷の祖神たる闘鶏稲置大山主命の墳墓地 並に古碑等歴然として尚存せり。
例祭は十月十五日にして この日由縁深き氷室山旧址の御旅所へ 古式による神輿渡御ありて 最も殷賑を極むるなり。
社頭 |
社号標 | 参道の様子 |
入口に架かる神橋 | 川岸の謎の文字が書かれた岩 |
入口に立つ明神鳥居 | 社号標 「郷社氷室神社」 |
参道は手水舎で突き当たり、右に曲がると灯籠と注連縄が掛かった注連柱が建立されています。 |
境内入口 |
境内の様子 |
とても横に広い厳かな拝殿 |
拝殿内の様子と本殿正面 |
拝殿と本殿の間に建立されている年代不明の狛犬 頭や背中に雪の綿帽子を被った姿には貫禄が感じられます。 狛犬の拡大写真はこちらで |
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檜皮葺の流麗な本殿 |
本殿縁にいる瓦材狛犬 佐賀の岩狛さんの様に大きな葉のような台座に覆い被さった、非常に変わった意匠の狛犬で、火炎のような動きのある尾や臑毛が、華やかさを醸し出しています。 狛犬の拡大写真はこちらで |
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境内社:三柱神社(御霊大神・天照皇大神・八幡大神)、二柱神社(春日大神・白山大神) |
三柱神社、二柱神社をお護りしている建立年代不明の狛犬 造りから見てかなり古い時代の狛犬ではないでしょうか?まん丸でお団子のように飛び出した目や、横に座った感じの大きな鼻、笑ったように見える唇、顔の正面から見ると眉毛と鬣が一体となっておかっぱ頭のように見えます。節だった前足を真っ直ぐに降ろし、寸胴な胴体をどっしりとした太腿が支えています。見ていると心が和み楽しくなる狛犬で、私は大好きです。 狛犬の拡大写真はこちらで |
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神池・茅萩池は薄く氷が張っていました。 |
境内社:厳島神社・事比羅神社、金比羅神社 |
境内右側、社務所と座小屋? 新年に相応しく、神楽殿内には清生流の方々が神社の木や竹を使用して、華やかな生け花を披露してくださっています。 |
境内左側、座小屋? |