宗像(むなかた)神社

桜井市外山(とび)818 (平成19年1月3日)

東経135度51分45.52秒、北緯34度30分27.26秒に鎮座。

 この神社は、神武天皇が大和に入り祖神を祀る霊疇を設けた鳥見山の北麓、外山地区の国道165号南側に鎮座しています。周囲はゴルフ場や住宅地などに開発が進んでいますが、鎮守の杜に守られた社域は昼尚暗く、落ち着いた雰囲気を保っています。

 御祭神:宗像三神(多紀理毘売命、市杵島比売命、田寸津比売命)
 例祭:10月17〜18日・秋季大祭(頭屋渡し)
 由緒:式内大社で、外山の産土神社ですが、天武天皇の御子・高市皇子が母親(胸形尼子娘)の実家の氏神である宗像三神を祀ったのが始まりといわれています。その後、祭祀を司ってきた高市皇子の後裔・高階義岑が南北朝の争いの際に吉野朝に与し、社殿は兵火により焼失、神宝も失われてしまいました。 以降、神社は荒廃の一途を辿りましたが、幕末の国学者、鈴木重胤がこの地に来たおり、宗像三神の荒廃を嘆き、村民と相談の上、安政6年(1875)に改めて筑前の宗像本社から分霊を勧請し再興されたということです。

 海のない県・奈良県に、遙か南の九州筑前の海の神様が祀られているというのは、天武天皇と九州の豪族の繋がりが感じられると思うのは、私の穿ちすぎでしょうか。
 又、境内の入口近く左側に「能楽宝生流発祥之地」の石碑が建っていました。この地は大和猿楽四坐の1つ、外山座(とびざ)のあった所で、宝生流は元は伊賀国にいた世阿弥の弟蓮阿弥が大和へ来て、外山の地を領してから興ったものと云われています。

社外の社号標
「登美山鎮座 宗像神社」
神社入口
参道脇の社号標
「式内大社 宗像神社」
境内から入口を振り返る
拝殿前の天保10年(1839)生まれの狛犬。
少し苔は付いていますが、良い保存状態です。
上向き吽の顎が思わず撫で撫でしたい程可愛いですね。
(天保10年(1839)9月建立)
拝殿
拝殿と本殿の間にいた元治2年(1865)生まれの濃〜い顔の浪花狛犬。
吽には角が付いています。
(元治2年(1865)3月建立)
建立年代不明の本殿前の苔むした小さな平顔狛犬。
眼を剥いて見栄を切っている歌舞伎役者のような顔つきです。
尾は後方でスパッと切れた様に立っています。
参道途中の境内社、入口と社殿
上記境内社の狛犬。
阿は模様入りの玉を持ち、吽は前脚に縋っている子狛を連れています。
毛の流れがスムーズですね。
(大正8年建立)
参道途中の境内社、入口と社殿。三柱の神が祀られているようです。
上記境内社の狛犬。逞しい体躯で、彼方を厳しくにらみ据えています。
(大正14年1月建立)

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