忍坂坐生根(おしさかにますいくね)神社

桜井市忍阪487 (令和4年10月14日)

東経135度52分32.31秒、北緯34度30分18.29秒に鎮座。

この神社は、近鉄大阪線・大和朝倉駅の南東1km程の辺り、忍阪の薄い街並に沿って鎮座しております。

御祭神 少彦名命・天津彦根命

由緒
当社は天平2年(730)の「大倭国正税帳」に、また延長5年(927)の「延喜式内社」にも名前がみえる古社で、本殿を持たず宮山をご神体とし拝殿の北側に神が鎮座する「石神」と称する自然石十数個を並べた「磐座」があります。
ここ忍阪の地は隅田八幡宮所蔵の国宝人物画像鏡に刻まれた「意柴沙加宮」の地ともされ、第26代継体天皇が磐余玉穂宮に即位される以前におられた処とされています。
また忍坂大中姫命や衣通姫が居られたとも伝わり、「大和志料」では額田部氏の祖天津彦根命を祀るとも記され、平安時代の医書「大同類聚方」に当社相伝の「以久禰薬」(額田部速の上奏)のあることを伝えています。その薬の製法は昭和の初期まで伝わり、また額田部氏が居住したとするこの地で額田王と鏡女王姉妹との繋がりや息長足日広額天皇(第34代舒明天皇)の陵墓があることから息長氏の大和での拠点の一つであったとされています。
拝殿への石段の左右には境内社の「神女神社」と「愛宕神社」を、北側には「天満神社」を祀ります。石燈籠24基の最古のものは拝殿した左右の延寶2年(1674)、正面登り口の石橋は正徳5年(1715)の刻銘があります。また年代不詳の陰陽石が一基あり、静かに村の安全と繁栄を見守っています。
境内由緒書き より。

神社入口

境内

拝殿正面

石段左右の狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)

拝殿


左右の末社

末社