夜支布(やぎう)山口神社

奈良市大柳生町3089(平成23年1月4日)

東経135度55分56.42秒、北緯34度41分58.84秒に鎮座。

 この神社は奈良市街地から369号線を東へ進み、大柳生局から47号線に入り南下すると約1km程で右手にこんもりとしたこの社の大きな森が見えます。南北参道と東参道入口があり、車では南北参道から入りますが、正式には東参道の石段から上がるのではないかと思われます。
 南参道には稚児柱が片側にしか付いていない両部鳥居が立ち、境内入口へと上がる石段前で三つの参道が合流します。境内入口にも稚児柱が片側にしか付いていない両部鳥居と「懸社夜支布山口神社」と書かれた社号標が立ち、横に広い境内左側に社務所、右側に神野宮仮殿・神饌所が配され、中央に十脚門のような造りの豪壮な拝殿、更に石段を上がると垣内に美しく華やかな本殿が建立されています。
 境内右には元々からこの地に鎮座していており、今は境内社となっている立磐神社が有りますが社殿は只今改修中。再びこの社を参拝できることを楽しみに、又の機会を待つことになりました。
 又、境内や森の右側奥に沢山の境内社が祀られています。

 御祭神:素盞嗚命
 祭礼日:10月17日・例祭宵宮祭、10月18日・秋祭
 境内社:立磐神社(天手力男命)、祓戸神社(祓戸大神)、春日神社(天児屋根命)、春日若宮社(天押雲根命)、戸隠神社(天手力男命)、靖国神社(靖国英霊)、八幡神社(品陀別命)、白山神社(白山比メ命)、宗像神社(市杵島姫命)、御年神社(大年神・御年神・若年神)、津島神社(須佐之男命)、住吉神社(中筒男命)
 由緒:柳生の氏神で平安時代の延喜式にもあらわれている古い社です。境内にある摂社立磐神社の本殿は、春日大社の第四殿を延享4年(1747年)に、ここに移したものです。この神社には、一年交代で集落の長老の家に神様の分霊をむかえる「回り明神」と言う、珍しい行事が伝わっており、700年の伝統をもつ大柳生の太鼓踊りが奉納されます。

 当社地は立岩に神霊が宿る霊地として巨石信仰の古代から崇拝され、立岩の前には早い時期から社殿が建てられていたが後世に山口神社が当社地ヘ移され立盤の神が摂社となった神社である。春日大社蔵の記録及び社殿から発見された墨書きによると現社殿は春日大社享保御造替時に新造卯された本社本殿の第四殿を延享御造替時(1744〜1747)に当地へ移譲されたものである。社殿は切妻造妻入の正面に軒の付いた古い形式をよく傅え、また当初材が多く残り移建の事情も明らかな点に注目すべきものがある。

東参道入口
南参道入口
南参道に立つ稚児柱が片側にしか付いていない両部鳥居
南北参道は境内入口で東参道と合流します。
石段参道と境内入口
境内入口の稚児柱が片側にしか付いていない両部鳥居 社号標
「懸社夜支布山口神社」
境内の様子
境内左側に建つ社務所
境内右側に建つ神野宮仮殿・神饌所
拝殿
拝殿に掛かる額「式内大社懸社夜支布山口神社」
本殿入口
本殿

境内社:立磐神社入口
立磐神社社殿は只今改修中
御神体の立磐も、国指定重要文化財の一間社春日造檜皮葺の社殿も、脇から少ししか拝見できませんでした。現社殿は春日大社享保御造替時に新造された本社本殿の第四殿を、延享御造替時(1744〜1747)にこの地へ移譲されたものです。
本殿手前左側に祀られる境内社:祓戸神社 本殿手前右側に祀られる境内社:戸隠神社
本殿手前右側に祀られる境内社:靖国神社 立磐神社右奥に祀られる境内社:春日神社
境内右奥の山の中に祀られる境内社へと続く参道
境内社:宗像神社 境内社:白山神社
境内社:津島神社 境内社:御年神社
ご神木