多聞神社

奈良市大柳生町1801(平成23年1月4日)

東経135度56分10.11秒、北緯34度42分1.71秒に鎮座。

 この神社は奈良市街地から369号線を東へ進み、大柳生局から47号線に入り南下、泉垣内集会所を東に入ると突き当たりに鎮座しています。
 参道入口にはごく普通の石段が見えるだけで、遠くに鳥居が見えなければ見逃してしまうかもしれませんから、近くに行ったら注意が必要です。神社の入り口には木製鳥居が立ち、右にはお地蔵様と石仏が入った御堂があります。
 境内に上がると正面に拝殿、その奥の垣内にこの社の別称である「八柱神社」の額が掛かった社殿を中心に、境内社が四社祀られています。又、境内隅には神井も有り、清水が湧き出ていました。

 この社に案内は無かったのですが、サイト「神社ふり〜く」によると
「 御祭神:天之忍穂耳命、天之菩毘命、天津日子根命、活津日子根命、熊野久須毘命、多紀理比売命、多岐都比売命、狭依比売命
 境内社:手力男命社・津島神社・素盞鳴神社・護国神社
 由緒:多聞神社の鎮座地は泉と呼ばれ、和泉の国から八王子の神を勧請したものと伝えられている。別称、八柱神社。ご祭神は、天照大神と須佐之男命との御誓約のときになりましし五男三女神で、狭依比売命は市杵島比売命の別名である。本殿は春日造・厚板葺で、本殿両側の境内社に手力男命社・津島神社・素盞鳴神社・護国神社がある。
 大正四年の調査では、末社は戸隠神社・杵築神社・津島神社の三社になっている。
安永五年(1776)の四角形石燈籠が立っている。明治三十四年(1901)の郷村社祭神調査によれば、古老の伝としてこの神社は、筒井順慶の家臣が元亀年間(1570〜1572)にこの地に来て、阪原から勧請した神を祭り農事に専念した、と述べている。泉垣内と呼ぶのは、この人が泉須斎を名乗っていたからだという。」
とあります。

参道入口
参道の様子
神社入り口と木製鳥居
お地蔵様 石仏の入った御堂
境内入口
境内の様子
拝殿
拝殿に掛かる額「村社多聞神社」
本殿、境内社が祀られる垣内入口
垣内全景
中央の八柱神社
境内社:護国神社 境内社:素盞鳴神社
境内社:手力男命社 境内社:津島神
神井