倭文(しずり)神社

奈良市西九条町2(平成17年1月2日)

御祭神は本殿右より経津主命(武神)、武羽槌雄命、誉田別命の3柱です。武羽槌雄命は織部の神、倭文氏はその後裔で、ここ辰市郷に住み神衣を織ったと伝えられています。御神徳はあらゆる生産、商売、安産の守護神として信仰されています。この神社も社司、中臣時風・秀行が神護景雲二年(768)勧請し、その祖、武羽槌雄命を鎮祭したと伝えられています。境内には古い灯籠が建ち並び、若宮社、蛇塚神社などの境内社が有ります。(由緒参考)
普通ではとても読めない名前の神社ですが、社殿の台座のストゥーパの様な真っ白な漆喰が印象に残った神社でした。又、奈良では何処でも感じた事ですが境内の清掃、社殿の綺麗さ、狛犬までも大事に保存補修して下さっている氏子さん達の心意気が伝わってくる様な気がいたしました。

神社入口

拝殿、夕刻で電灯の光が
入ってしまってゴメンナサイ

経津主命(武神)、武羽槌雄命、
誉田別命の3柱を祭った本殿

本殿右の若宮社
 御祭神は大鷦鷯尊

頭上扁平の浪花狛犬

境内社・蛇塚神社
 御祭神は須佐之男命

 倭文神社の秋祭り「蛇祭り」の神饌「人身御供」には言い伝えがある。
 その昔、村には、大蛇のいけにえとして毎年幼児を神前に捧げる風習があった。あるとき、いけにえの順番の巡ってきた家族に話を聞いた高僧(弘法大師とも、理源大師とも言われる)が、子どもの代わりに人身御供に。大蛇の体内に飲み込まれた高僧は、腹の中から大蛇を3つに切り裂いて退治したという。その後、神前には人の形に似せた神饌が供えられることになった。
 人身御供の胴体は、麦わらを束ねたもの。胴の周囲に長方形のモチを木のくしで刺していく。モチを刺す段数は五段、四段、三段があり、五段が10個、四、三段はそれぞれ1個ずつ作られる。胴囲のモチを刺し終わると、ヒノキの葉をかぶせ、十字に組んだ長いモチ、ワカメが順に重ねられる。その上に人形(ひとがた)が乗せられ、仕上げに御幣(ごへい)が突き立てられる。
 人形の顔は、たてに切った里イモ。切断面に「へのへのもへ」の目鼻が書き入れられる。この顔面部と、十字に結んだ木のくしに和紙の着物を着せた胴体を合体させて人形は完成。それぞれの御供の中心に据えられると、御供全体に人らしさが増す。
 御供の中で、モチを三段に張り付けたものにはヘビが、四段のものには3つまたの竹枝に刺したミョウガが加えられる。
 ズイキ(サトイモの茎)で作られたヘビは、口を開き、獲物を狙っているような姿。目やうろこが書き入れられ、口の中に舌を模した赤い紙が張り付けられると、今にも人形に食い付きそうな躍動感が生まれた。
 祭りの当日には、かわいらしい神饌も用意される。土御供、花御供と呼ばれる手のひらに乗る神饌がそれだ。
 盃(さかずき)、祭花(キク)、ヤナギバシ、ナス、飯が、それぞれ彩色した和紙を巻いて水引きをほどこした粘土製の高杯(たかつき)などの上に乗せられる。それでも高さは数センチ程度。ままごと遊びで使われるほどの大きさだ。
 祭りの日、人身御供は、竹と麦わらで作られた体長5メートルほどのヘビとともに町内を巡行したあと、本社、若宮、蛇塚、時風(ときかぜ)神社にそれぞれ供えられた。
(奈良のおはなしより)