奈良県護国神社

奈良市古市町1984(平成23年1月5日)

東経135度50分36.97秒、北緯34度39分39.39秒に鎮座。

 この神社は188号線・古市町信号から左右の池の間を通って東に入ると、突き当たりに入口があり、高円の杜と称される広大で緑豊かな鎮守の森の中に、静かに鎮座しています。
 入口には社号標、鳥居の他に「戦国時代古市氏の油山城址」案内板やビルマの塔がたてられ、鳥居を潜り静寂な深い森の中を行くと、参道は左に曲がり手水舎と石段が見えてきます。境内入口にも大きな鳥居が建立され、護国神社らしい落ち着きのある広々とした境内奥に、重厚な拝殿、中門、本殿が建立されています。

 御祭神:明治維新から大東亜戦争までの約90年間にわたり、国難に殉ぜられた奈良県出身者とゆかりのある軍人・軍属・従軍看護婦御英霊三万柱の御英霊並に満蒙開拓義勇軍、県下消防殉職者の御英霊が神鎮まり坐す。
 祭礼日:例祭・4月15日・10月22日、秋の慰霊大祭・10月22日、御祭神命日祭、大祓式(年末の除夜に先立つ神事)
 由緒:奈良県では当初奈良市飛火野の浄地に祭壇を設け、明治維新以来の国家民族のため戦歿された御英霊を招魂して慰霊祭を斎行していたが、昭和14年6月県下ゆかりの御英霊の鎮魂と、その偉勲を後世に伝えるため、護国神社建設奉賛会が組織された。
 万葉の故地であり、大和盆地が一望されるこの景勝の地(約1万5千坪)に、昭和17年9月、全県民挙げての奉仕により荘厳なる社殿が創建された。
 同年10月13日奈良県護国神社と称せられ、同月22日に御鎮座祭を斎行、3千柱の御祭神が祭祀された。
 その頃より大東亜戦争の戦局は一段と苛烈なものとなり戦歿者は日を追って増加、合祀祭神は年毎に増えていった。
 その戦歿地は厳寒の大陸そして灼熱の南の島と全戦線にわたっている。
 奈良県護国神社では、これら戦歿英霊の「みたま」安かれと、日々祭祀を厳修し、御神徳発揚に務めている。
(護国神社発行「高円叢書」より)
 昭和14年(1939年)6月、奈良県知事を会長として護国神社建設奉賛会が組織され、昭和15年10月に創立を許可されて造営を開始、昭和17年(1942年)に竣工・鎮座し、内務大臣指定護国神社となった。大東亜戦争後のGHQ占領時代、附近の古名よりとった「高円神社(たかまどじんじゃ)」に改称していた。
 3月末から4月始めの椿の時期には「椿祭り」が行われる。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

社頭
入口に立つ明神鳥居
社号標 戦国時代古市氏の
油山城址」
案内板
ビルマの塔
碑文
第二次世界大戦中ビルマにて
祖国の為に尊い生命を捧げられた
兵士の御霊をまつる塔
参道の様子
鳥居を潜り、静寂な深い森の中を行くと、参道は左に曲がり手水舎と石段が見えてきます。
この石段参道を上がると境内へと出ます。
境内入口に立つ二の鳥居
広々とした境内の様子
入母屋造りの重厚な拝殿
回廊と中門、奥に見えるのは本殿の屋根
流造りの本殿屋根と中門から見る本殿正面
御神符授与所 戦歿者慰霊塔

上記案内板に書かれている神社前の神池と古墳の島