八幡神社(元 石清水八幡宮)

奈良市東九条町宮ノ森1316(平成23年1月5日)

東経135度48分58.8秒、北緯34度39分48.38秒に鎮座。

 この神社は大安寺小学校の南東約300mに鎮座しています。
 参道の入口は大安寺小学校から真っ直ぐ南に下る道路に面していますが、境内の入口はそこから東に150m程あり、その間、深い森の中に境内社や神橋、二の鳥居などが見られます。
 神門を潜ると沢山の灯籠が並んだ先に室町時代の建立で市指定文化財となっている中門が建ち、そのすぐ後ろに開放的な拝殿、三間社流造で檜皮葺屋根の本殿が建立されています。本殿縁や階段脇に所狭しと置かれている石清水八幡宮の神使である「鳩」の置物は、安産祈願に参詣した者が奉納したそうですが、壮観な眺めです。境内社は、若宮神社と武内神社が本殿前左右に並び、加茂と祓殿の両神社を除く他の末社は本殿の三方を囲むように配されています。
 又、嘉永6年生まれの石製参道狛犬が一対と、本殿に神殿狛犬が二対居り、狛犬ファンにも是非ともお奨めの神社です。
(この社への参拝はもう陽が傾き始めた後で、かなり悪条件の元での写真撮影のため、発色が悪い写真もありますが、ご容赦を…。)

 御祭神:仲哀天皇、応神天皇、神功皇后
 祭礼日:10月10日
 境内社:若宮神社(仁徳天皇)、武内神社(武内宿祢命)、菅原神社(菅原道真公)、厳島神社(市杵島姫命)、稲荷神社2社(保食神)、猿田彦神社(猿田彦命・天照皇大神)、金刀比羅神社(金刀比羅大神)、春日神社(天児屋根命・大物主命)、命婦神社(豊玉姫命・玉依姫命)、加茂神社(伊邪奈岐命)、祓殿神社(瀬織津比売命)、宮玉神社(宮玉大神)
 由緒:大安寺の旧境内に鎮座し、もと同寺の鎮守神として大安寺八幡宮と称された。また、山城国男山の石清水八幡宮の元宮であるとの伝承を持つ事から元石清水八幡宮と称し、或いは辰市(たつのいち)4箇郷の氏神とされたことから、郷社石清水八幡神社や辰市八幡宮等とも称された。
 応和2年(962年)5月11日の年紀をもつ『大安寺八幡宮御鎮座記』は、入唐した大安寺の僧侶行教が帰朝の途次に豊前宇佐八幡宮に参籠してその神影を奉戴、大同2年(807年)に大安寺東室第7院の石清水房に鎮座したのが起源で、後に神殿を造営して遷座し、「石清水八幡宮」と号して大安寺の鎮守神としたが、貞観元年(859年)に神託によって山城男山へ遷座したために改めてその跡に祀ったのが創祀であるとする。また異説として、保延6年(1140年)に著された『七大寺巡礼私記』はそれ以前の斉衡2年(855年)に行教が勧請して創祀したものとしている。
 鎮座地は『七大寺巡礼私記』に「東塔の北に在り」とあるように、かつては大安寺の寺域に属して南には同寺の東塔が建っていた。また『御鎮座記』にある石清水房も「大安寺伽藍絵図」によると現社地と大安寺の間にあった事が確認できる。なお、建長7年(1255年)以前の成立とされる『七大寺日記』には大安寺の金堂の東に南北1町ほど(およそ120メートル)に連なった僧坊の跡がある事を記し、その北から4番目の坊が行教の坊であったとの古老の伝えを紹介、次いでその傍らに石清水という井戸がある事を述べるが、現社地北方の御霊神社境内にある「石清水の井」がその井の遺称であるという。
 中世には「辰市八幡宮」と称され、辰市4箇郷の鎮守神として尊崇され、春日大社の正預に就任した者は必ず一度は頭役として勤仕する定めであった。永正元年(1504年)に焼失した記録があり、その後再興されたようであるが、元亀2年(1571年)の松永久秀の辰市攻略等の戦乱で大安寺とともに衰微の道を辿り、慶長元年(1596年)閏7月12日には大地震によって同寺とともに罹災、その影響で大安寺が一時廃寺の状態となったために独立し、在地の氏神として村民の手によって復興された。
 社伝によれば、文久3年(1863年)に大修理を、大正2年(1913年)に本殿と全末社の彩色を施している。
 当神社が男山石清水八幡宮の元宮であるとの伝承については、『七大寺日記』も石清水の井が現存する事を以て「八幡石清水之根本(石清水八幡宮の根本)」であると述べているが、対する男山八幡宮はこれを否認しており、例えば天永4年(1113年)4月22日に南都七大寺が共謀してそれぞれの鎮守神の神輿を舁いで上洛、嗷訴に及ぶに際しては、興福寺の衆徒が男山八幡宮に対して元宮である大安寺八幡に従い神宝を具して参加するよう要求したところ、男山八幡宮は逆に男山から勧請したのが大安寺八幡宮であると反論し、従って嗷訴への参加を乞われる謂われは無いとこれを拒否している。
 『多聞院日記』によれば中世には8月17日が祭礼日で、大安寺祭として賑わい、猿楽の奉納も行われていた。また、氏子である大安寺地区に座筋(入座の資格を持つ家柄)が厳然と保たれた左右2座の宮座があり、当屋の行事等も古来の仕来りで継続されている。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

社頭
参道入口に立つ両部鳥居
ここから参道は豊かな森の中を、真っ直ぐ東に150m程続きます。
参道の様子
参道途中に祀られる境内社:祓殿神社(瀬織津比売命)?
神橋
参道途中に立つ二の鳥居
参道の様子 社号標
元石清水八幡宮
八幡神社」
格調高い白塀と神門
境内の様子
中門前にいる嘉永6年生まれの狛犬
吽には突起が付いているのですが、宝珠か角か判別できません。直立姿勢の力強い狛犬です。
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(嘉永6年(1853)癸丑4月吉日建立)

市指定文化財・中門
室町時代の建立で、江戸時代初めに大改造され、現在の姿になったものとみられます。瓦葺の四脚門ですが、左右に翼廊が連なるため割拝殿のようにも見えなす。柱や組物には、建造当初の用材を残し、木鼻などにも古式の伝統がみられ、中世神社の四脚門として貴重。
拝殿と拝殿から見える本殿正面
三間社流造で檜皮葺屋根の本殿
本殿縁上に居る神殿狛犬
吽には長い角が付いています。大きな目を見開き、平歯が目立つ、素朴で力強い狛犬です。
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本殿縁下に居る神殿狛犬
上の狛犬とは打って変わったスリムで縦長蹲踞の狛犬です。阿吽で鬣の造りが異なり、後ろ足太腿の渦が面白いですね。動物顔で、そんなに古い物ではないかもしれません。
狛犬の拡大写真はこちらで
境内社:稲荷神社2社(保食神) 境内社:菅原神社(菅原道真公)
境内社:厳島神社(市杵島姫命)
・金刀比羅神社(金刀比羅大神)
境内社:若宮神社(仁徳天皇)
境内社:猿田彦神社(猿田彦命・天照皇大神) 境内社:宮玉神社(宮玉大神)
境内社:春日神社(天児屋根命・大物主命) 境内社:命婦神社(豊玉姫命・玉依姫命)
境内社:武内神社(武内宿祢命) 境内社:加茂神社(伊邪奈岐命)?
境内社:武内神社社殿縁に置かれた瓦材狛犬
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