為志(いし)神社

葛城市林堂311(平成23年1月7日)

東経135度43分22.2秒、北緯34度28分46.44秒に鎮座。

 この神社は近鉄御所線・市役所新庄庁舎駅の南西約1kmに鎮座しています。
 神社は254号線に面して社地が造られており、昭和57年に再興されたようなのですが、明治43年の廃社の後も人々が崇敬し続けてきたのでしょう、境内にはかなりの樹齢の木々も残っています。
 境内や社殿は綺麗に整備されており、左手に境内社の稲荷神社が配され、中央奥に割拝殿、ブロックの塀内に流造の本殿が建立されています。又拝殿左には明治43年廃社の後、昭和57年に再興されるまでの間、人々の崇敬心を護り続けてきた「為志神社遺蹟」碑が建っています。
 明治39年の勅令社寺合併令によって、大神社に合祀され、廃社となった神社が日本中にどのくらいあるのか、正確には分かりませんが、この社のように四分の三世紀もの歳月の後に復社された神社は外にあるのでしょうか?地元の方々の神社再興に対する意志の強さと行動力には、ただただ頭を垂れ、尊敬の念を表すばかりです。

 御祭神:伊古比都幣命
 祭礼日:不明
 境内社:稲荷神社
 由緒:式内小社。為志神社は伊古比都幣尊祭神として古く栄え、延喜式には忍海郡二社の筆頭に記載されている由緒正しい神社で、久しくその尊厳を発揮してきたが、明治39年の勅令社寺合併令により、明治43年2月8日をもって、式内大社葛木坐火雷神社に合併されて今日に至った。
 しかるに廃社の後、人々は社殿の跡に為志神社遺蹟の石碑を建て、あたかも神殿に対するが如くこれを崇敬してきたのである。
 人々の志実って社殿を再建し、祭神を還し、ここに式内小社為志神社の再建が成就したあとなお、為志神社遺蹟の碑を温存する所為である。
昭和57年10月17日
   式内社為志神社
    再興発起人一同

社頭
神社入り口に立つ社号標「式内小社為志神社」と両部鳥居
境内の様子
割拝殿
流造の本殿
「為志神社遺蹟」碑 境内社:稲荷神社