橿原市久米町934(平成23年1月7日)
東経135度47分21.49秒、北緯34度29分6.29秒に鎮座。
この神社は橿原神宮前駅すぐ西、畝傍山東麓に鎮座しています。
明治23年に神武天皇を祀るために創建されたお社で、歴史的にはまだ新しい神社ですが、橿原神宮を含む一帯は南北に長い橿原公苑として整備されており、広大な社地に神寂びた佇まいの鎮守の杜、雄大豪壮な社殿が建立されている素晴らしい雰囲気の神社です。
一の鳥居を潜ると中央の主道の両側に橿の並木が続き、さらにその両外側に副道が設けられており、100m程で宮川にかかる神橋を渡り、二の鳥居を潜ります。参道はここから一直線になり、素木建八脚門で屋根は切妻造桧皮葺の南神門に至ります。南神門を入ると境内後方に畝傍山(標高・198.8m)が望める素晴らしい景観にまず感動。掃き清められた境内を進むと左手に明治天皇から下賜された神楽殿、両脇に長い廻廊を連ねた壮大な入母屋造りの外拝殿が続きます。一般の参拝者が入れるのはここまでで、拝所から奥を拝見すると、周囲を廻廊に囲まれた外院斎庭と内拝殿、さらには内拝殿越しに幣殿と本殿正面が僅かに垣間見えます。
旧社格は官幣大社・勅祭社・別表神社だったそうですが、神武天皇の宮(畝傍橿原宮)があったとされる聖地に創建されるに相応しい荘厳な雰囲気で、自然と頭が垂れ手を合わせる気持ちが湧き起こる、素敵な神社でした。
御祭神:神武天皇、媛蹈鞴五十鈴媛皇后
祭礼日:1月1日・歳旦祭、1月3日・元始祭、1月7日・昭和天皇祭遥拝式、2月11日・紀元祭(例祭):神武天皇の橿原宮での即位を偲ぶ祭り、2月17日・祈年祭、4月3日・神武天皇祭、4月29日・奉賛祭、8月8日・献燈祭、11月23日・新嘗祭、12月23日・天長祭、12月31日・大祓式
由緒:橿原神宮は、奈良県橿原市の畝傍山の麓、久米町に所在する神社である。
記紀において初代天皇とされている神武天皇を祀るため、神武天皇の宮(畝傍橿原宮)があったとされるこの地に、橿原神宮創建の民間有志の請願に感銘を受けた明治天皇により、明治23年(1890年)に官幣大社として創建された。
昭和15年(1940年)昭和天皇が同神社に行幸し、秋には日本各地で紀元2600年奉祝式典が挙行された。この年の参拝者は約1000万人に達したという。現在でも皇族の参拝がある。
初詣の時期や2月11日の建国記念の日に勅使参向のもと行われる紀元祭には、特に多くの参拝客が訪れる。
橿原神宮を含む一帯は南北に長い橿原公苑として整備されており、北側が神武天皇御陵、南側が橿原神宮となっている。県道を隔てた東側には陸上競技場と野球場があり、スポーツ競技の奈良県予選決勝の舞台として頻繁に利用されている。なお、公苑に隣接する施設として奈良県立橿原考古学研究所及び付属博物館がある。また、公苑の付近は多数の陵墓が存在する。社務所に当たる組織は橿原神宮庁と呼ぶ。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)
表参道入口に立つ木製の一の大鳥居 |
社号標 | 参道の様子 |
神橋と二の木製鳥居 |
橿原神宮庁近くの参道の様子 |
手水舎 | 参道左側に見える深田池 |
表参道から境内へと入る入口に立つ南神門。素木建の八脚門で屋根は切妻造の桧皮葺。 |
境内後方に畝傍山(標高・198.8m)が望める、南神門から見る境内の様子 |
神楽殿 元京都御所の神嘉殿で、明治23当神宮創建の際、明治天皇から下賜されたもの。入母屋造檜皮葺。現在の神楽殿は、平成8年6月再建。 |
境内全景 拡大写真はこちらで |
外拝殿 昭和14年に完成した、両脇に長い廻廊を連ねた壮大な入母屋造りの外拝殿。 |
周囲を廻廊に囲まれた外院斎庭と内拝殿 拡大写真はこちらで |
内拝殿 紀元祭その他重要な祭典に使用され、また特別参拝の拝殿となる。外院斎庭の広さは3200u(約970坪)あり、紀元祭には全国から数千人の参列者で埋めつくされる。 |
幣殿 幣殿は、祭典の際に神饌をお供えし、祝詞を奏上する場所。そのため、屋根に千木、棟の上に鰹木を置くなどの様式をとっている。2月11日例祭(紀元祭)の際には、勅使が幣帛を奉献し、御祭文を奏する。 |
内拝殿越しに僅かに垣間見える幣殿と本殿正面 本殿は安政2年の建造で、現在は重要文化財に指定されている。 |
土間殿 |
ご神木 |
境内から北北西の方向に見える畝傍山 「香久山は畝傍ををしと耳梨と相あらそひき 神代より斯くなるらし 古もしかなれこそ うつそみも妻を争ふらしき」(中大兄皇子 万葉集) 畝傍山(標高・198.8m)は、古く万葉集にも歌われた大和三山(畝傍山、耳成山、天香具山)の中で、一番高い山です。 |
北神門 |