天香山神社

橿原市南浦町608(平成23年1月8日)

東経135度49分16.08秒、北緯34度29分38.43秒に鎮座。

 この神社は畝傍山、耳成山とともに大和三山と呼ばれる天香久山(標高・152.4m)の北麓に鎮座しています。
 社号標を右に見て鳥居をくぐり、参道を進むと右手に柿本朝臣人麻の万葉歌碑があり、占の木「波波迦の木」、も見られます。明治天皇遥拝所を過ぎると境内入口で、境内正面に割拝殿が建ち、拝殿の後方に回ると神橋があり、石垣の上に本殿と左右脇社が祀られています。
 又、社殿後ろに屏風状に三枚ある巨石は、神の依代である磐座と考えられています。

本殿の後ろに、巨石が屏風状に三枚あり、

 御祭神:櫛真神(元名 大麻等地神)
 祭礼日:9月中旬日曜日・例祭
 境内社:春日神社、八幡神社
 由緒:櫛は奇(不思議)真は兆(占い)の古語にて、神武天皇記に、天香山の社が見え創建古し。
(境内「定」より)

 天香久山の北山腹にあり。境内に「赤埴聖地」の碑あり、近くに「白埴聖地」の碑もあり。
 『大和志料』は当社を畝尾坐健土安神社とする。神名帳に「元名大麻等乃知神」とある。
 本殿の後に巨石が三つ屏風のように立つている。これは石座であつたと考えられ、本来はこの岩を天香山の神霊として祭つたものと考えられる。
 神武紀に菟田の八十梟帥を征討するのに、天神が夢に「天香山の杜中の土で平甕、厳甕を作り天神地祇を敬祭せよ」と教えたとある。
 本社は太占の卜事を掌る神を祭つた社であり、卜事に関係した氏族として史上明らかなものは中臣氏である。
 延喜式 京中 卜庭神・久慈真智命神の本社にあたる。
(「延喜式神社の調査」より)

社頭
表参道入口に立つ一の明神鳥居 社号標
式内大社天香山神社」
表参道の様子
万葉歌碑
ひさかたの 天の香具山このゆふべ 霞たなひく春立つらしも
柿本朝臣人麻歌集「巻十-一八一二」
参道脇に聳える占の木「波波迦の木」(にはさくら)
 『古事記』の天の岩戸神話に、天香久山の雄鹿の肩の骨抜き取って、波波迦の木の皮で焼き吉凶を占ったと記されています。
「天香山赤埴聖地」碑 手水舎
明治天皇遥拝所
境内入口 二の明神鳥居
境内の様子
割拝殿
本殿へ向かう途中に架かる神橋
上の境内へと続く石段参道脇にいる、文政9年生まれの浪速狛犬
ちらりと覗く牙、草鞋の紐のような毛脛と、繊細な爪が特徴のようです。
狛犬の拡大写真はこちらで
(文政9年(1826)丙戌正月吉日建立)
社殿の建つ上の境内入口
上の境内の様子
春日造の本殿
右脇社・左脇社 春日神社と八幡神社のようです。
社殿東の鎮守の杜の様子
社殿後ろに屏風状に三枚ある巨石は神の依代である磐座と考えられています。
北参道出口
北参道の様子
北参道に祀られる境内社 北参道西にある古池