春日神社
生駒郡平群町椿井1278(平成23年1月6日)
東経135度42分50.52秒、北緯34度37分3.4秒に鎮座。
この神社は近鉄生駒線・竜田川駅の北東約750mに鎮座しています。中世の椿井城跡に社地はあり、椿井の集落の最東の山間部入口という立地条件ですが、境内北に県指定史跡・宮山塚古墳が隣接しており、奥の山間部には「宮裏山古墳」が有り、古くから神聖視されていた場所なのでしょう。
常年寺北に参道の入口が作られ、石段が境内まで続きます。入口には鳥居が立ち正面奥に割拝殿、奥の中門と瑞垣に囲まれた中に本殿が建立されています。又、左右にも境内社が祀られ、それぞれの社殿を護るように浪速狛犬が勢揃いしています。
御祭神:天児屋根命
祭礼日:不明
境内社:下蔵神社他二社
由緒:平群氏は天大吉備諸進尊を祖とする。孝霊54年甲子11月13日薨じ、上辺槍掛山丘上陵平群坐神社と申す也。二代天岩床尊は平群郡勢益原丘上陵天岩床神社と申す也。景行の朝 堤原王は武内宿祢の養子となり、勅命により平群の姓を賜り二十九代神手小将軍大宿祢(日本書紀)は聖徳太子に従い守屋氏を討ち以て氏寺平群寺を勢益原丘に創建す。
推古の朝、三十四代式部卿従二位中納言直広隅(日本書紀)大海人皇子(天武天皇)に仕え吉野上市・大淀町増口(摩志口)に住し壬申の乱起るや鈴鹿に進軍。出陣に先立ち神前の井戸に椿の木を挿し戦勝を祈願す。自後始に椿井を以て称号となす。(1300年前)軍功により鈴鹿の関を拝領自後椿井となる。此時社寺創建せしも戦国時代に織田信長の兵火により灰燼となる。現在伊勢一之宮椿大社是也。三十六代右中将懐房は藤原房前の養子となり仍て藤原の平群と称す。
大和管領職越前懐泰は神護景雲2年正月9日河内平岡より三笠山に春日大明神の臨幸に供奉し以て初代興福寺官務衆徒となる。天徳年間伊予律師懐休初て椿井寺並春日社を創建、当春日社の初め也。
椿井寺の一部仏像は当村乾氏宅にあり。五十七代椿井中納言氏房は実は征夷大将軍藤原頼経の三男なり。母の遺命により血脈を継ぐ為養子となり、弘安5年6月2日菊桐の御紋を賜し、伊賀、大和、河内、安房、四ヶ国の太守として勅贈正二位大納言となり当村に椿井城を築城せり。
越前政里奈良探題となり館を奈良吉野町に移し以後椿井町と改む。永正年間懐慶政信公山城一円を賜り周辺に居城を構え以後山城椿井と称し星霜2200有余年を経て今日に至る。斯くの如く古代より代々築かれたる平群一円の文化財を保護し後世に残し度き念願により以て一文となす次第也。
参道入口 |
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石段参道の様子 |
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境内入口 |
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境内入口に立つ明神鳥居 |
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境内の様子 |
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割拝殿 |
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中門と瑞垣 |
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春日造りの本殿 |
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本殿に掛かる額「春日社」「甲大明神」 |
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境内左に祀られる境内社入口 |
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境内社 |
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境内社縁に居る小さな狛犬 |
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境内左に祀られる境内社:下蔵神社参道入口 |
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下蔵神社社務所 |
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下蔵神社境内入口 |
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下蔵神社境内の様子 |
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下蔵神社社殿 |
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境内北に隣接している県指定史跡・宮山塚古墳
直径約26m、高さ約7mの円墳です。築造は5世紀後半〜末頃で、昭和45年3月に県の文化財に指定されています。横穴式石室で、玄室は長さ4.1m、幅3m、高さ3.2m、右片袖式石室で、近畿地方の導入段階の完存する横穴式石室として貴重な存在だそうです。 |
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